
◆FC2ブログで日々拝見している方の記事を読んでいたら、お父様が亡くなっていた。
実家で同居すること1年4か月。その間の御両親の様子などが書かれていた。
実の親子とはいえ、同居は大変なことも多いことを知った。
家事はもとより、車を運転して入退院や通院などに付き添う忙しさ。
遠慮がない実の親子ならでは、あれこれ不満や衝突もあるようだが、そこは多少の笑いも込めて書いている。
何度かの入院で「もう入院はしたくない。出来るだけ長く家にいたい」
という父親が書いた紙が見つかったことから、覚悟を決めて家庭での介護になったのだ。
本人にとっては家が一番良いのだろうが、家庭で看ることは大変なことだろう。
それでも、最期を家で終えることが出来たことで、親孝行できた満足感が残ったようだ。
◆最近、私も時々亡き父のことを思い出す。来年の1月で丸2年になる。もう3回忌だ。
亡くなった直後より、時間がたった今頃の方が思い出すことが多い。
100歳の誕生日の9月までは元気で家で百寿を祝ったが、頭はボケることもなく、
自分の亡き後の遺産分割のことまで心配していたほどだ。
10月になって突然足腰が痛み出し歩行が困難になり、やせ細った体でも支えるには、弟の男の力でも難しかった。
特に夜中のトイレにはまいったほどだ。夜は弟が泊まり、昼間は私が交代で看た。1週間で音を上げた。
その後は、整形外科入院、老健入所、最後は別の総合病院で亡くなった。
時はコロナ禍真っ最中で、ベッドまで行けたのは、1年3か月間でたったの2回。
最初の入院時と、亡くなる前日だけだった。時期が悪かった。
●老健には1年近くいたのだが、意識もしっかりしていたので、
家に帰りたがって、よく電話をかけてきた。愚痴や弱音も多かった。
リハビリをすればまた元気になって家に帰れると私は考えていたが、甘かった。
年を取ってからの入院は、次第に弱るばかりで、家には帰れないことを悟った。
101歳の誕生日の直後、施設のベランダ越しに見舞って手を振ったが、父は泣いていた。
その頃、紙切れに書いた「101歳 何とか生きている。皆ありがとう」
という文字は生前の几帳面な字とは違い、震えた字になっていた。
●色々なことを思い出す。83歳から100歳まで独居生活をしたので気になり、
私も退職後は行き来が増えた。父の老いていく姿をそばでしっかりと見ることが出来た。
別居でもあり、実家とは車で往復2~3時間はかかるので、そう毎日は行けなかったが、
それでもやり切ったという満足感はあった。
3度の入院や入所以前は、月に1回程度の通院くらいで、さほど苦労もせずに「子供孝行」をしてくれたと思う。
その前の96歳と97歳時に、貧血や歯科治療で2度入院したが、その時は無事に帰宅できたのだ。
3回目の入院は100歳。さすがに老いには逆らえなかった。
私より弟の方が実家に近いので、頼ることも多く苦労をしたと思う。再就職もせず父の介護につきっきりだった弟が、
「あっという間に退職後10年近くが経つとは予想もしなかった」と漏らした。
●晩年は食事以外はすぐにベッドで横になることが増えた。大往生だと満足したが、
毎日でも歩くことを補助して足腰を鍛えれば、入院することはなかったのにと反省する。
実家に行けば家事に忙しく、父の話をゆっくりと聞くこともしなかった気がする。
今頃になって後悔の念が起こるのだ。
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美しく歳を重ねるために

◆今日は実家の墓参りにやっと出かけた。
彼岸明けの日なので、ぎりぎり間に合ったことになる。
行ってお参りをするだけ。
墓の周りには草が生えないように固い土を敷き詰めているので、今は楽になった。
お花は、先日弟が行ってきれいに生けてくれていた。
◆お昼は中国料理の「鳳凰(ほうおう)」へ久しぶりに寄ってみた。
実は、いつものように「魚池」に行ったのだが、今日と明日は休みだったのだ。
私は日替わりランチを食べた。メインは回鍋肉だ。

さすがに「中国料理」というだけあって、本格的で美味しい。
夫は毎度の中華丼。やはり「新珍味」に軍配が上がるらしい。




◆実家にも寄って、弟が冷蔵庫に入れてくれていた「らっきょう漬け」を貰った。
鳥取のラッキョウだそうで、本格的なものだ。美味しく頂こう。

◆久しぶりの実家なのでゆっくりしたかったが、急ぐ用事が入り急いで帰った。
その後、腰のリハビリ、肥料、お米などの買い物を済ませる。
バタバタとあれもこれも済ませると忙しくゆとりがない。
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美しく歳を重ねるために

◆今日は「実家の墓参り」に出かけた。雨が降るか気になったが、とうとう降らなかった。
墓地には、「安芸門徒特有の紙と竹で出来た盆灯籠」がたくさん立てられている。


父は元気な頃、自転車でかなりの距離を出かけて立てていたものだが、
盆が過ぎれば片付けに行かなければならない。
それが次第に苦になり、いつの間にか立てなくなった。
それを今に踏襲している。その代わり花だけは奇麗に生ける。

今日は15日なので墓参りの人は多いと思ったが、昨日のうちに済ませたのか人は少なかった。
雨も降らず、墓参りを終えてこれで一安心。
◆昼食は、夫お気に入りの台湾中華に行ったが盆でお休み。
仕方なく、向かいにある「coco壱番屋」で食べた。
◆食後は、実家に行く。
家の中はもう片付けもほとんど終わり、最近は私も次第に行かなくなった。
今は弟の管理なので、以前のように勝手にあれこれするのもやや遠慮気味。
しかし、庭木の枝葉があちこち伸びているので、「剪定」した。
幸いに雲が出ており暑さもさほどではなかったので、作業が出来たのだ。
部屋も開け放して空気を入れた。
父が亡くなって1年半になるが、父がいない家は寂しいものだ。
不要なものはほとんど片づけて、家の中がすっきりして広々としている。
今でも誰かが住めそう。いずれは解体するようになろうが、惜しい気がする。
◆実家を後にして、帰りに「宮浜グランドホテルの温泉」に入って帰った。
ここの利用も久しぶりだ。コロナ禍には利用が躊躇されたのだ。
今日は私を含めて3人しか入っていなかったが、
15時頃になると宿泊客のチェックインが始まり、多くの人がやってきた。
さらに少し車を走らせ、宮島口の「丸亀製麺で夕食用のうどん弁当」を買って帰った。
「台風」のニュースで持ちきりの一日だった。被害が大きくなりませんように。
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美しく歳を重ねるために

◆今日は実家で食事会。
我が家の客人が明日は帰るので、2家族7人が集まったのだ。
昼食は、いつもの「魚池」の弁当。今回は2段重ねの豪華版。

弟家族が前日までに、部屋の準備や、弁当の手配、飲み物やお菓子の準備をしてくれた。
いつも我が家はお客さんになり、申し訳ない。
実家がいまだにこのような形で使えるのが嬉しい。
前回集まったのは4月だったので、2か月ぶり。積もる話もたくさんあり、楽しい歓談になる。
◆食後は、裏庭のびわの収穫。以前は柿の木が3本もあったが、今はもうない。
唯一残ったびわだが、ここ数年は実が生るようになっている。
以前は良く熟してたくさん取れたが、すべては取り切れず、
間をおいて次に行ってみたら、鳥に見事にすべて食べられていたことがある。
しょっちゅうは行かないので、タイミングがある。


今回はまだ少し青くて、黄色く熟したものが少なかった。
弟家族は後日また収穫に来るということで、今回は我が家だけが持ち帰った。
青ければジャムにしたら良いと聞いたので、挑戦してみるつもりだ。
楽しい日となった。亡き両親も喜んでいただろう。
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美しく歳を重ねるために
またしてもPC不調につき、時間ばかりかかり
諦めてスマホでの更新に切り替える。
今日は実家での集まり。
1月の亡父の一周忌に集まれなかった兄弟が来たので
みんなで集まったのだ。総勢9人。
魚池(広島県大竹市)の「大竹弁当」を予約して持ち帰り
実家で食べ歓談した。

積もる話もあり話は尽きない。
楽しいひとときが持てた日となった。

諦めてスマホでの更新に切り替える。
今日は実家での集まり。
1月の亡父の一周忌に集まれなかった兄弟が来たので
みんなで集まったのだ。総勢9人。
魚池(広島県大竹市)の「大竹弁当」を予約して持ち帰り
実家で食べ歓談した。

積もる話もあり話は尽きない。
楽しいひとときが持てた日となった。
