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マスコミと娘、教育と私(いじめ問題から)

2006.10.31(20:33) 213

●今日で10月も終了。秋は深まっていっている。
明日から霜月。冬がどんどんと近いづいてきているようだ。

●このところ連日のごとく、いじめ問題がメディアに取り上げられている。
マスコミ報道のあり方、世の中のあり方、教育・行政のあり方など、
様々なところに問題が投げかけられている。

我が家は、半人前ながら娘が一応マスコミ関係の末席におり、
私は教育に関わっているとあれば、全く無関心でもいられない。

娘がマスコミにいる関係上、そう悪くも言いたくはないが、
このところの報道過熱ぶりには、異常さを感じる。
そのことに関しては、娘も同感なのだ。
もともと、この仕事が天職と思ってやっているわけではないので、
何を言われてもやや部外者的に平然としている。
ひょんなことから今の仕事に就き、
自分には向いてない仕事だといいながら、どうにか続けているのだ。

だから、案外冷静に物事を見つめることができるようで、
同業者の目に余る特権意識や、横暴さを冷ややかに見ていることが多い。
マスコミ関係者とて、その渦中にいれば、無意識のうちに我を忘れてしまう形になるのだろう。
いつの事件でも、記者やレポーターが事件関係者たちにマイクを突きつけ、
まるで裁判官でもあるかのように詰問口調で聞いている。
何の権限があってのことであろうか?
そんな姿を見るにつけ、娘は益々懐疑的になっているのである。
でも、それでは仕事はやっていかれない。
それが仕事に向いていないと言う理由の一つでもあろう。

●私も若い頃、母親からよく言われていた。
悪い意味での「教員根性を出したらいけない。」と。
生徒に言うような口調がどうしても出てしまうことを懸念していたのだ。
上からものを言うような言動が身に付くと、日常生活でつい出てしまうのだ。
そのことをいつも私に諌めていたものだ。
だから私は、少なくともいつも頭の片隅にそのことを意識してきたつもりではある。
それですら、無意識のうちに悪い面が出てしまうことがある。
心してかからねばなるまい。
どんな人間でも、仕事を笠に着て威張るような態度はいけないのだ。

●それにしても、このいじめ問題はどこまで続くのだろう。
学校や教育行政関係者への責任追及が続いているが、
いま少し冷静になって、
亡くなった生徒の思いや、いじめた子どもたちの気持ちを考えていくべきではなかろうか?
いじめた子どもと親が亡き生徒の家へ謝りに行った、というニュースも流れた。
親子でその罪を償う姿勢があれば、少しは未来は見えてくる気がする。
その反対であれば救い難い。
この親にしてこの子ありなのだから。そしてそんな人間を育てた学校、社会の責任は重い。

今、世の中はみんなで、この問題を自分の事として考えていくべきであろう。 

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美しく歳を重ねるために


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2日間遊びすぎて今日から大忙し

2006.10.30(19:30) 212

●土曜日は、ほとんど一日がかりでパソコンと格闘。
とはいえ、私ではなく家に来てくれたパソコンの先生のことだ。

デジカメ・メール・プリンター・パソコンの入れ替え・・・・
あれもこれもやっていただいた。ただ感謝、感謝である。
とはいえ、私はまだ自信がないのだが・・・・・。

●昨日の日曜日は、行楽日和に誘われて、またしても出かけた。
このところ県北が気に入り、ドライブをしたら、
とても素晴らしい場所に出会った。
今日は時間がないので、後日また書きたい。
残念なことに、娘がデジカメを東京行きに持ち出したものだから、
美しい景色は、またしても携帯での写真となってしまった。

●今日は簡単だがここまで。
2日間遊びすぎて、持ち帰った仕事をしなかったものだから、これからしなければならない。
水曜日に行われる公開授業の関係書類がまだできていないのだ。
ぎりぎりになってやるとは、なんとも情けない。
しかし、やるしかない。

▲写真は、広島県北部の北広島町にある「聖(ひじり)湖」。まるで外国に行ったような光景に出会った。と、ここまで書いたのに、パソコンを変えたら、携帯写真までが入らなくなったが、今夜はどうしようもないので、これで終了。


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渡辺淳一の「いじめ考」に思う

2006.10.29(07:07) 211

●昨日のブログにいじめのことを書いたが、
自分の思いと似たような考えが書かれた文を読み、
わが意を得たりと嬉しくなった。

■雑誌「週刊新潮」11月2日号
連載もの 「あとの祭り」渡辺淳一 <少年の死から考える>である。

大筋は私が抱いていた考えと同じで、

「先生だけが悪いのか」ということで、
少年の周囲について考えていくべきだというのである。
教育界を叩いただけでは、子ども同士のいじめがなくなるとは思えないというのだ。

ここまではまさに同感。
その次に述べられていることは、さすがに医者である渡辺さんらしい考察で、
亡くなった少年の遺書に注目している点である。

「遺書から見えるもの」
遺書の文には、全体に暢んびりというかあっけらかんとした感じがあるというのだ。
最近の子は、テレビゲームで死に慣れており、リセットしたら再生できると考えている子もいるのだ。
この少年がそうであったというわけではないが、
そういう風潮が影響していなかったかというのだ。

「バーチャルな感覚」
マスコミは狂ったように教育界を叩いているが、そんなことでいじめはなくならない。
子どもは弱いものを見たら、すぐいじめるものなのだ。
だからこそ教育が必要なのだ。
教育の基本は、知ではなく情を教えるべきである。
今の子はゲームのバーチャルな感覚だけに馴染んで、本当の実感を体験していない。
加えて人と接する基本的な作法や方法もよく分かっていない。

一人の教師を責めるより、もう少し、この教師や少年が出てきた背景を考え、
そこから改めて対策を見直すべきである。

●世の中は、事件が起きるとすぐそこに意識が集中し、
特にマスコミが連日そのことを流すものだから、
世論はあたかもそれが絶対的なものかのように思ってしまう。

事件でも、何かのブームでもそうだが、
私はみんなの意識がそちらに集中すればするほど、
敢えてその中に入ることが嫌なのだ。
ずっと後に引いて、遠くから見る癖がある。
その方が、全体が見えることも多い。
「斜に構える」と言ったら、少し違うだろうか?


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ブログの功罪

2006.10.28(21:13) 210


●ブログをやることで、色々なことが派生する。

▼良くないことは、やはり時間をとられることが大きいことだ。
その結果、体への影響といえば、運動不足になることだろうか。

▼でも、それを差し引いてもいいことは多い。

・何よりも、毎日を意識して生きるようになったことだ。
毎日起こる物事の一つ一つをしっかりと意識し、それを深く考えるようになった。
一日一日をしっかりと生きてきたといったら大げさであろうか。
文章を書くことは、考えることに繋がる。
分からない事は調べることになるし、調べることで新しい発見も多かった。

・さらに、パソコンに触れることにより、
あれだけ嫌いだったパソコンに、いやが上でも詳しくならざるを得なくなった。
やっておればあれこれとトラブルに出会うし、今でも分からない事だらけだけれど、
それなりに解決への方策を考えては、
その結果、少しずつパソコンの知識が増えていくのだ。

・さらに新しくブログ仲間ができ、これまでの生活圏では考えられなかった人間関係ができた。
これも素晴らしいことだ。

●このように、ブログをやることにより、
「罪」もあるが、それ以上に「功」の部分が多く、
それゆえにいつまでも止められないでいる今日この頃だ。

▲写真は、今年の夏に写した<百日紅の花>。季節外れだけれど、デジカメ画像の練習用に載せた。


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教育(いじめ、改革など)を考える

2006.10.28(09:14) 209


●このところ教育に関することが、かまびすしい。

かかわりのある者としては、一言書かねばならぬが、
関わりがあるだけに、かえって書けない思いもある。

●「いじめ」・・これは今に始まったものではないが、
このところ自殺にまで発展し、社会問題化している。
いじめはどうあっても許せない問題だ。
いじめられた者の思いは根深く、死を持って終結せねばならないとはあまりに残酷すぎる。

学校、教師、教育委員会などへと問題追及が広がっているが、
もちろん責任は逃れられるものではない。
しかし、メディアの方向性でこうなった嫌いもあるのか、
集団ヒステリー的に責任追及に及んでいる気がする。

福岡のいじめ問題では、いじめた側が自殺した生徒を、死後もなお
「死んでせいせいした。」とか、
通夜の最中、お棺の中を笑いながら見ていたなどということを聞き、
もうあきれてしまって、言葉にならないのである。

関係者の責任問題は継続するとして、
いじめた子供たちの指導をさらに続ける必要があるのではないだろうか。
心が病んでいるとしか言いようがない。

そうなった背景には、大人の影響があることはもちろんである。
子どもは親の鑑なのだから。
世をあげて、心の問題を深く考えていかなくてはならない。
それは、学校だけでなく、あらゆる場面で自分のこととして考えなくてはならないのだ。

●管理強化・・ここ5年間で、教育の世界は大きく変化した。
新教育課程により週5日制が始まり、総合的な学習が導入されたり、
学校評価だの、教員の自己申告制だの、
あらゆるところで改革が進んでいる。
そのどれもが、現場の意見はほとんど通らず、
上からの押し付けである。
現場の教員はもちろん毎日を汲々と送っているのはもちろん、
そのことは子ども達とて同じである。

管理職である校長でさえ、今の現状を決して良いとは思っていなくて、
もっと現場の意見を聞いて欲しいと考えているのが大多数だと聞く。
それでも、管理職は上に逆らえず、仕方なしに下に下ろす。
現場では、毎日の忙しさに追われそのことを深く考える暇もなく、
どんどん改革は進んでいるのが現実だ。

昔の、のどかなゆとりある学校は今はもうない。
すべては成果主義で、数に表れねばならないのだから、
みんながあくせくしている。
教育の世界は甘い!などと社会は見ているという理由を大義名分に、
すべてが一般社会並みに結果を求めさせられている。

教育はそんなものではないのではなかろうか?

まだまだいくらでも言いたいことはあるけれど、
長くなるので、今回はここまでとしよう。


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「ホンジュラスの愉快な仲間たち」の皆さんへ!!

2006.10.27(22:02) 208


●2001年(平成13年)8月に中米ホンジュラス国へ研修旅行に行った皆さん、お元気ですか?
広島のMiです。
先日の会には参加できず残念でしたが、楽しかったですか?
このブログをご覧になっていれば、嬉しいのですが。

●このときの研修旅行については、少しだけ書いています。↓こちらです。


▲写真は、今年の8月に写したもの。半そでの服を着ていて季節外れだが、今日やっとデジカメの画像が入った記念のものです。


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平和・ロックコンサート

2006.10.27(19:53) 207


●芸術の「秋」もそろそろ終わりに近い今日この頃、
音楽に触れる機会を得た。

・10月27日(金)13:25~14:45の80分間
・中学校体育館
・2学年生徒約240名・保護者・教師ら計、300名での鑑賞

・ロックバンド「GOD BREATH」のコンサート

・このバンドは、音楽を通じて平和の大切さを伝える活動をしている。(3人組み)
・バンドボーカルの佐々木祐滋さんは、平和公園に立つ「原爆の子の像」のモデルとなった
佐々木禎子さんの甥にあたる。
・普通のロックバンドとして活動していたが、数年前ある平和集会に参加した際、
「禎子さんの遺伝子を持つ以上、平和への祈りを伝えていくべき」
という言葉をかけられた。
・これがきっかけとなり、ロックを通して平和を訴える活動を始め、
その活動の様子はドキュメンタリー番組として全国放送された。
・現在、全国各地でのライブの他に、学校でのライブも積極的に行っており、子ども達に平和の大切さ・命の尊さを伝える活動をしている。

●ロックバンドのコンサートは初めてのことで、
それも学校で鑑賞することが出来ようとは思ってもいなかった。
私にとってロックとは、ただ騒々しいだけの音楽としか考えていなかった。

最初の頃は想像通りの大音響に、耳が痛くなるほどだった。
しかし、聞いているうちにいつしかその熱意が伝わってくるようになった。

佐々木禎子さんのことを歌った「INORI」を聞いているうちに、
不覚にも目に涙がにじんできたのだ。

●●別れがくると知っていたけれど 本当の気持ち言えなかった
色とりどりの折鶴たちに こっそり話しかけていました
愛する人たちのやさしさ 見るものすべて愛しかった
もう少しだけでいいから 皆のそばにいさせて下さい

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた ※
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした ※

折鶴を一羽折るたび 辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 暖かい家にまた戻れる
願いは必ずかなうと 信じて祈り続けました
だけど涙が止まらない 近づく別れを肌で感じていたいから

※ ※
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

別れがきたと感じます だから最後の気持ちを伝えたい
本当に本当にありがとう 私はずっと幸せでした

※ ※
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした
めぐりめぐりゆく季節をこえて 今でも今でも祈っている
二度と二度と辛い思いは 他の誰にもしてほしくはない

●詩を味わうだけでも、深い感動に浸ってしまう。
「現代の若者」「ロック」等という先入観はみごとに打ち砕かれた。
心にしみるいいコンサートであった。

▲写真は、「ウィキペディア フリー百科事典」より。
人物は、佐々木祐滋さん。バンドのHPより。


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私のブログのテーマは何?

2006.10.26(20:39) 206

●今年の6月からブログを始めて、早4ヶ月以上が経った。
「身辺雑記」の中から、何でも見てやろう・考えてやろうの精神で続けている。

それにしても、なかなか自分の中心テーマが定まらず、
それだけに私の特徴が出ていない気がする。
これだけはという信念の人がいる中で、
なんとも雑多で、広く浅くなっているのだ。

●それでも、「統計」を見ながら少し考えてみた。

書庫にはいっている数の上位から並べてみると、

①健康・運動・膝痛・・29  ②仕事・教育・・28  ③家族・・28 ④生活文化・・27
⑤ブログとのかかわり・・16 ⑥旅行温泉・・16   ⑦森林シリーズ・・15
⑧広島の話題・・11    (以下省略)

とざっとこんな具合だ。
やはり、これといった特徴がないと思う。
あれもこれも書きすぎか!
でも、これが私の生の姿なのだから、変えようがない。

もう少しこのままの姿勢で続けてみよう。
そのうち、少しは変化が出てくるだろうか?


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バトンを受け取った!

2006.10.26(20:10) 205

< うっかりバトン >

●先日るはなさんから受け取ったバトン。こんなものも初めてなら、これをどうコピーするかも分からず困っていたのを、るはなさんに懇切丁寧に教えてもらった結果、今日やっと書くことが出来た。

ルール・・・当てはまるものに丸をして、質問に答える

1 間違えてボディーソープで頭を洗ったことがある → ×
決して冷静沈着ではなく、案外おっちょこちょいである私だが、不思議とこれはない。

2.友達だと思って手を振ったら全く他人だったことがある → ○
ある。向こうが自分の後ろの人に手を振っているのに、自分のことだと思って知りもしない人に手を振ったりしたことも・・・。恥ずかしいったらない。

3 トイレの便座を下ろさずに座ったことがある → ×
これも不思議とない。0回とはいいませんが、ほとんど記憶にない。

4 運動会、マラソン大会で転んだことがある → ×
転んだことはほとんどない。でも、保育園時代にかけっこで靴が脱げて、恥ずかしくてその場に座り込んで泣いた思い出がある。はだしで平然と走ることが出来ないくらい、幼く気の小さな子だった。

5 電車で寝過ごし 戻りの電車でも寝過ごしたことがある → ×
高校3年、大学4年、就職して3年の10年もJR通学・通勤をしたのに、1回もない。
友達で、1時間に1本しかない列車に乗り遅れては本屋で時間をつぶし、本に夢中になって乗り過ごしということを3回くらい(3時間くらい)繰り返した人がいた!
私は、そこまで夢中にはなれない。その集中力に感心。

6 宿題をちゃんとやったのに家に忘れてくやしい思いをしたことがある → ×  
ほとんどない。どうしたことか、こういうことには細心の注意を払う私だ。

7 駐車場で自分の車が見つからずにウロウロしたことがある → ○
迷いまくって、このまま見つからないのではないかと慌てたこともある。こんな話が、テレビドラマであったような気がする・・・。(タモリの本当は怖い話?)
ちょっと違うが、他人の車にキーを差し込んだら、合わないのでおかしいと思ってやっと気づいたこともある。

8 自転車のペダルを踏み外して 思いっきりすねを打ったことがある → ×
長いこと自転車に乗っていないので記憶にないが、かなりひどければ覚えているはずだから、きっとないはずだ。

9 何もない所で突然転んで恥をかいたことがある → ○
何もないと言うか、階段を一段踏み外して転ぶ寸前でどうにか転ばずに済んだり、膝を痛めてからはとにかく転びやすい。でも、意外と人のいないところで転ぶ。決まり悪くて、しばらくじっとして周りを見回すと誰もいなくてひと安心ということも。
  
10 答案用紙に名前を書き忘れたことがある  → ×
これはない。教師をしていると、テストを集めたらクラスに必ず1人はいる。順番に集めているので誰か分かるけど、甘えているなと思ったりする。

11 会社の電話に自分の名前で出たことがある → ×
記憶にない。というより、外線にでることがほとんどない。

12 午前と午後を間違えてタイマーor目覚ましをセットしたことがある → ×
このところほとんど目覚し時計が必要ない。時計より早く目覚めるので。
       
13 運転中におしゃべりしていて途中寄る所を通過することがある → ○
これはよくある。ボーっとしていたり、他のことを考えていたりするとよくやること。

14 思い込みのー ー ー ドジ
結構あるのに、内容をこれといって覚えていない。一見しっかり者に見えるが、案外へまばかりしている。それを娘に話したら、面白おかしく友達に話すものだから、友達からはなんと面白いお母さんと思われているらしい。

15 出かけるのに慌てていて履いていく靴を間違えたことがある → ×
靴は原則一足しか出していないので、慌てても間違えない。

16 自分のドジ体験
これがあるようでない。小さなことはたくさんしているはずなのに、これといって思い出せない。
長嶋茂雄さんが、子どもを球場に置いて自分だけ帰ったという話は、あまりにも有名ですが。

これは自分のせいではないけれど、鍵がなくて家に入れず、はしごをかけて2階まで上がり、2階のベランダの手すりを乗り越えるのに、かなりの高さに体が持ち上がらなかったこと。それでもやっと入ったのに、2階には1箇所も入れる所はなく、また同じ動作で降りなければいけなかった時の情けなさと言ったらなかった。


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体重1ヶ月1キロ減量その後

2006.10.25(19:55) 204


●「1ヶ月1キロ減量」を書いたのがほぼ1ヶ月前。
時は流れ、さてその結果はいかに・・・・?

ずばり言えば、「ほとんど変化なし」である。

とはいえ、途中様々な出来事があり、多少の増減はあったのである。
減量宣言をした後、

★四国のうどん巡りに行ったことから、讃岐うどんのおいしさに目覚め、
うどんを定期的に食べるようになった。

★そうこうするうちに、ひょんなことから足を打撲して安静を命ぜられ、運動が出来なくなった。
うどんを食べたことから増加する体重に、運動の必要性を感じていたまさにその頃だったのだ。

★おまけに、「味覚の秋」が「食欲の秋」へとなり、このところ減っていた食欲が少し上がった。

これらのことから、体重は1~2キロ増加してしまった。

☆足を痛めたものだから下半身の運動は控え、最近、腹横筋を意識した腹筋運動を寝る前に行っている。
これが功を奏したか、徐々に体重は元にもどったのだ。

☆文化祭などの行事で、随分忙しく動いたことも影響したのかもしれない。

ここ最近は、前のような運動もしなくなったが、
どんどん体重が上がることもなくなったのが嬉しいことだ。

●体重と体脂肪測定は、毎日朝と夕方の2回欠かすことなく行っている。
膝を痛めてから、ここ4年それをずっと続けている。
私の減量は、生活習慣病予防もあるが、膝痛予防のためでもあるのだ。

運動と食事制限で、今年の4月から7月までの4ヶ月で4キロ痩せた。
1ヶ月1キロ減量が達成できたのだ。
8月から10月までは、本格的な運動を止めたこともあり、ほとんど変化なし。
でも、運動を止めたらまた増加するかと恐れていたが、どうにかそれはないようだ。

食欲抑制のための、食前にコップ1杯の<きな粉牛乳>を飲むことも続けているのがよいのだろうか?

●さて、これからは冬に向う。
どうしても、動きが鈍くなるので、要注意季節の到来だ。
そろそろ運動の再開時期かなとも思う。

病院のジムに行けばいい運動になるが、もう2~3ヶ月も行っていない。
こうなると、今更行けるものではない。
仕事帰りの1時間が、気力的にもう取れないのだ。
行っているうちはそれが当たり前であったのに、
一旦行かなくなるともう行けなくなくなってしまう。
夫は日課のごとく頑張って行っているというのに。

家で、ストレッチや筋トレを、細々とでもやるしかないな。
さて1ヵ月後はいかに。期待できるような努力をしようと思う。
でも、前のようながむしゃらさはなくなった。のんきなものなのだ。

▲写真は、先日の「育樹祭」での全国中継放送のカメラ。かなり大掛かりだ。


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2006年10月
  1. マスコミと娘、教育と私(いじめ問題から)(10/31)
  2. 2日間遊びすぎて今日から大忙し(10/30)
  3. 渡辺淳一の「いじめ考」に思う(10/29)
  4. ブログの功罪(10/28)
  5. 教育(いじめ、改革など)を考える(10/28)
  6. 「ホンジュラスの愉快な仲間たち」の皆さんへ!!(10/27)
  7. 平和・ロックコンサート(10/27)
  8. 私のブログのテーマは何?(10/26)
  9. バトンを受け取った!(10/26)
  10. 体重1ヶ月1キロ減量その後(10/25)
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