私の風邪がうつったと思ったのだが、どうやら自分の職場でうつったらしい。
冷や冷やものだ。今日はマスクをたくさん買ってきた。
苦しんでいる子どもを置いて出かけるわけにもいかず断念した。
子どもといっても、一人前の大人なのではあるのだが。
夫も家にいるので、少しは気が楽なのではあったけれど。
消化の良い食べ物などをたくさん買いこんで帰った。
この薬に関わっては、毎年のように新聞に載る事故が起きている。やはり、強力な薬なのだろう。
今日の新聞にも、昨日仙台市の男子中学生が服用後、転落死した事件が載っていた。
先ほどもニュースで、服用と異常行動の因果関係は認められないが、
未成年の場合は周囲が見守るよう言っていた。
ほとんど覚えていないくらいだから、10年ぐらいはたっているだろうか?
「鬼の霍乱」か、10年に1度くらい大風邪をひいて休んでいた。
かなりひどかったので、インフルエンザだったような記憶がある。
まるで<おおかみ少年>のような扱いをされている。
そういえば、本当にインフルエンザになった時期の記憶はない。
くしゃみも、鼻水も全く出なくなった。
うれしいに越したことはないのだが、効きすぎも怖い。
2~3ヶ月も毎日服用すれば、胃を壊すことになるのだ。
もちろん今も胃薬と共に飲んではいるのだが。
美しく歳を重ねるために
「議員定数について」という記事を読んだ。
この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/machihit2004/29102984.html興味を持って読ませてもらった。
今まさに、どこもかしこも問題となっているものらしい。
・2月24日「議員定数2減、16に 大竹市議会改革等検討委員会報告」
・2月27日「議員定数26提案へ 三次市議会活性化等調査特別委員会」
などが載っていた。
一緒くたになって、かろうじて入っている。
素人なりの浅い分析だが、その後にmachihitさんのような専門の方の記事を読むと
それでも、かろうじてではあるが、少しずつ話がわかってくるから不思議だ。
コメントなども参考にお読みいただきたい。
美しく歳を重ねるために
●土日をはさんで、4日振りに仕事に出た。
やはりまだ少し病み上がり気味だが、仕方あるまい。
昨日は、同僚の一人も休んでおり、生徒も一人インフルエンザで休んだそうで、
私を入れて3人が休んでいた。
一時期、学校中でかなり流行ったインフルエンザが、
少し遅れてわがクラスにもやってきたようだ。
私は、声がまだおかしく、大声が出しにくいのは、仕事上致命的だ。
●花粉症の方は、
暖冬の影響で今年はスギ花粉の飛散が例年より早く、
2月21日現在で、飛散未確認なのは、北海道・青森・秋田・長野・沖縄の5道県だけだ。
新聞も「スギ花粉・飛散一気」と見出しをつけている。
ただ、去年の夏の日照時間が少なかったため、
スギ雄花についている花粉の量は例年より少ないというのが、せめてもの救いだ。
●この時期、花粉症に風邪でもひくと大変だ。薬漬けになる。
昨日の点滴はよく効いたので、今日もう1回とも思ったが、やめた。
もう後は薬ではなく、自力で治さないと、自然治癒力がなくなるような気がしたのだ。
我が家は、早速娘にうつってしまった。
症状も私と全く一緒で、昨日は夕方少し早引きをして帰ってきた。
今日は仕事を休んで,家で唸っていた。その次は夫かな?
美しく歳を重ねるために
今日こそはもう動かなくてはと、仕事に行くつもりでいた。
無理もない。丸2日も、横になっていたのだし、ほとんど食べれなかったのだ。
ほぼ絶食状態といってもいいだろう。
こんなことってあるのだろうか?
これがダイエットの結果であればうれしい限りであるが、
病気で食べなかったのだから、喜んではおれない。
いずれ正常になれば、体重はすぐ元には戻るだろう。
「人間に食欲というものがあること」、何を食べても味気ない、胃が受け付けないことは、これまであまりなかったことだから。
それも、「食べるものがおいしい」ということが
どれほど人間の生命維持に役立っているかを知ったのである。
今日は休むことにした。
自分が休むことで、同僚にも、生徒にも迷惑はかかるが、致し方ない。ここ何年かは、病気で仕事を休むことはほとんどなかった。
風邪を引いても週末にかかり、土日に休養すれば治っていたのだ。
一眠りしてから昼までには病院に行くことにした。
はっと気づいたら、12時までに15分しかない。慌てて、近所の病院へ駆け込む。
点滴が長くかかって、終わったのが1時半だった。
昼休憩を削ることになったようで、先生や看護士さんたちにも迷惑をかけてしまった。
花粉症も多少関わっていると私は思ってはいるのだが。
それにしても、私の中では近年まれにみるひどい風邪だった。
これで、明日こそは仕事に出なくては。
家族にもうつってしまうのだ。これだけが気がかりだったのだ。
美しく歳を重ねるために
昨日の昼から今朝まで、ずっと眠り続けた。
3食食べれなかったので、今朝体重を量ってみたら、2.5キロも痩せていた。人間は食べなければ痩せるものだという、当たり前のことを知ったのだ。
それに反して、体脂肪はぐんと跳ね上がった。
トイレに行く以外は寝ているのだから、筋肉量が落ちる。
残るは脂肪のみだ。
往復2時間も掛けて行き来したのに、体がだるくてしようがない。
父と一緒にお昼でも食べに行こうと言っていたのに、
それどころではなくなった。
ひどくなってはいけないので、早々に帰ることにした。
途中のパーキングで、仮眠を取った。
ふらふらしながら、転がるように家に入って、すぐ休むことにした。
寝ても寝てもどんどんひどくなる。
体温も上がってきて、うつろな状態で体温計を見ると、38度を超えている。
高熱になることはめったにないので、もう朦朧としてくる。
頭ががんがんする。高熱になると、頭痛がするということを知った。
体の節々も痛い。そのうち吐き気がしてきた。
水以外は何も取っていないので、出るものもない状態になった。
それでも、寝ておれば治るという考えで、薬も飲まずに治そうというのだ。
休息が何より重要だと考える。
胃もむかむかするので、食べられない。
花粉症にしてはちょっと症状が違うかな。
今日は体温が下がったので、インフルエンザにしたら、違うようだ。
普通の風邪だったのか。それにしても、予兆すらなかった。
ノロウィルスかな?吐き気はあったが、下痢はなかったのだが。
美しく歳を重ねるために
パソコンの立ち上がりの遅さをどうにか解消したいと、苦闘している。
ネットをやりだしてからは、立ち上がるのに5分前後かかる有様だ。
様々なことを試してはいるのだが。
夕べは、とうとう「デフラグ」なるものをやった。
初めての経験だ。長くかかるので、夜寝る前にやるといいと教えられたが、
ブログが済んでから始めたら、寝るまでには完了した。
1時間ぐらいで済んだのだ。
人によっては、2~3日もかかることがあると聞いたが、
私の場合は、そうでもなかったようだ。
「断片化ファイル」「連続ファイル」「移動できないファイル」「空き容量」が
色別になってごちゃごちゃ状態で出てくるのだが、
それがきれいに整理整頓されてくる。
ごちゃ混ぜファイルを「圧縮」して、「最適化」するらしい。
見ているだけで、気持ちが良いのだ。
そんなに劇的には変化はしなかった。
美しく歳を重ねるために
こんなことは、久しくなかったことだ。
のど、鼻、目の順に痛い。
合間には鼻をかむ。
眠れたものではない。
まるで、風邪にかかかったようだ。
体までだるいのだから、どうしようもない。
朝飲んだので、効き目が弱くなっていたようだ。
鼻水用の漢方も慌て飲んだが、時すでに遅かったのかもしれない。
美しく歳を重ねるために
白い光の中に 山並みは萌えて
遙かな空の 果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い 空に心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼にこめて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もない いさかいに 泣いたあの時
心通ったうれしさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
(※)今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い 力信じて
この広い 大空に
(※)繰り返し
旅立ちの日に(たびだちのひに)は1991年(よく、1992年に作られたと言われる事があるが、原曲は1991年に作られた。)、埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲。作詞は当時の校長小嶋登。作曲は音楽教諭の坂本浩美。編曲は多くの合唱曲を手掛けている松井孝夫。
全国の小中学校の卒業式の約6割で歌われている。『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わって、最も広く歌われる卒業式の歌となり、テレビ番組でも取り上げられた。
曲の誕生について
当時の小嶋校長は、歌声の響く学校を目指し、合唱の機会を増やした。
音楽科の高橋(旧姓 坂本)教諭と共に、粘り強く努力を続けた結果、
歌う楽しさによって、学校は明るくなった。
そしてその集大成として『旅立ちの日に』が生まれた。
その後この曲は歌い継がれ、現在では全国の学校で歌われている。
今までの卒業式の歌とは違い、親しみやすい歌詞が共感されている。
卒業式までの3週間余りを、歌い上げる予定だ。
ここ何年かはずっとこの歌を歌っているが、きれいな歌だ。皆一生懸命歌っている。
●しかし、本音を言えば、きれいな歌であっても、なぜか涙が出ないのだ。
やはりぐっと来るのは、「蛍の光」や「仰げば尊し」や「巣立ちの歌」だ。
卒業式の歌にも、流行があるようだ。
美しく歳を重ねるために
「赤沢の自然休養林」は、神宮備林として長く伊勢神宮遷宮の用材を賄って、今に至る。
伊勢神宮は20年後ごとに建て替えられる。
数百年にわたり伊勢神宮に大量の造営用材を提供してきた木曽谷、
中でも赤沢自然休養林は、樹齢300年の天然ヒノキの美林だ。
それを作り上げたのは、伐採の歴史と木曽独特の自然環境であった。
400年前、木曽谷はヒノキ・モミ・広葉樹の交じった原生の森だった。
戦国時代の後のお城の建築ブームや、江戸の大火のため、
膨大な木材需要を満たすために激しく伐採された。
100年も続いた伐採に、尾張藩は木曽谷を手厚く保護した。
さらに建築用材として優良な木は伐採禁止。停止木(ちょうじぼく)である。
夏と冬の気温差が大きく、平均気温は7~8度。針葉樹、落葉広葉樹に適した冷温帯である。
年間降水量は2500ミリを超える。
広大な木曽谷国有林の中でも赤沢自然休養林はとりわけ壮大な森である。
明治に皇室の御料地になり、伊勢神宮にヒノキを供給する神宮備林となった。
特別に保護されてきた森は、強度の伐採と独特の気候と土壌が作りあげた、
類まれな森林である。
「千本立」は「林木遺伝資源保存林」という特別に保護されている森だ。
「奥千本」は、日本屈指のヒノキが群立する。
「ヒノキは世界一。使いやすく、軽くて強い。香りがある。水にも耐える」
「材木の良さをすべて持っている。」
ヒノキにすぐる木はないという。
神社、仏閣、城、最上級の建築物にヒノキを超える用材はない。
木曽谷には、一万年前からヒノキがあったことがわかっている。
「ヒノキがなかったら木の文化と言われる日本文化は生まれなかったかも知れない。」
ヒノキの森は格別だ。精気が満ちている。独特の芳香が森全体を包む。
ヒノキチオールと呼ばれる成分が発散する。脳や心を安らかにしてくれる。
ここは、森林浴発祥の地として知られる。
森林のリフレッシュ効果と医療を結びつける森林セラピー基地にも認定されている。
「ヒノキの森がなくなってしまう」
ヒノキの大木の間に伸びている若木は7~8割がアスナロである。
このままで2~300年もすれば、アスナロの森になるはずだ。
ヒノキは日の入らぬ暗い森が苦手の陽樹である。
アスナロは、日陰に強く、繁殖力が強い陰樹だ。
自然の力にゆだねていたら、日本一のヒノキの森はゆっくりとアスナロの森に移ろってしまう。
ヒノキの森を永続させるにはどうすればいいのか。
その試みが休養林内の「ヒノキ天然更新試験林」だ。
アスナロはひばともいう。
銘木で名高い青森ヒバとは似て非なるものだ。
現状を出来るだけ変えないでヒノキの世代交代を進める。
植林はせず、種が自力で芽を出すのを手助けする。
天然の更新にこだわる。
木曽谷は有数の林業地帯である。
伐った大木を運ぶために、様々な技術、道具が生まれ、伝承されてきた。
「山落とし」「小谷狩」「床堰」「筏に組む」など・・・。
流送が唯一の運搬手段だったが、森林鉄道が革命的・大発展をもたらしたのが
「森林鉄道」だ。
1910(明治43)年開通した。全盛期は昭和30年代といわれる。
総延長は428キロにまでに達した。「軽便」といって親しまれた。
その後、トラックが主役となり、1975(昭和50)年60年の歴史に終止符を打った。
それから12年後、観光用として復活した。
壮麗なヒノキ天然林を縫って走っている。
美しく歳を重ねるために
道を歩いていても、なぜだか気になるのだ。
でも、まだまだ木の名前がよくわからず
名前の札がかかっていると、ほっとしてうれしくなってしまう。
木を見ては、いつも本で名前を探しているのだ。
樟脳の原料になるという。
社寺の境内、公園、校庭、街路樹などに広く見られる。
高さは15~20メートル、時には30メートルにもなるという。
樹皮には細かい割れ目が多いのが特徴だ。
花が5月に咲き、4~5月に新芽が出ると旧葉が落ちてほとんど交代する。