昨日は、絵に書いたような真っ青な美しい空で、暖かくて良い気候だった。
今年最後の実家行きの日だった。
着いてすぐに布団干し。
週に1回か10日に1回しか干せないから、せっかくの晴れ間なので干す。
玄関にはしめ飾りを取りつけ、庭の木の枝を切って花瓶に生けた。
花の良いのがないが、どうにか正月らしくはなった。
今回のお昼は「鍋」。材料を買い込んで持参した。
冷蔵庫を開けてびっくり。思わず「あ~~~!!」と声が出る。
冷凍室に白菜と白ネギが入っている。白ネギは包装もなしのそのまま。
前回は、じゃが芋と玉葱が入っていた。またしても・・・。
今年新調した冷蔵庫だが、父はいまだに慣れず、野菜庫と間違えたと言うのだが。
冷凍していいものとそうでないものも、分かっていないようだ。
かちんこちんに凍って、しばらく置いておくとべたべたになってきた。
ねぎは冷凍もありうるので、どうにかべたつかずに済んだ。
口で色々言っても混乱するので、マジックで大きく紙に書いて貼りつける。注意書きだらけだ。
そういえば、私がドイツ行きで長らく家を空ける時に、我が家でも同じようなことをした。
私の<専売特許>かもしれないのだが・・・。
食後はいつも昼寝と決まっている父のために急いで布団を取り入れようとしたが、
父は応接間の椅子に毛布をかけて眠るというので、もう少し布団を干し続ける。
少しだけ昼寝をした父が、すぐに起きて来た。
買い物に出かけたいというので、車で一緒に出かけた。
帰宅後はお風呂に入る。服を脱ぐのが寒いとか、浴槽の出入りがきついだのあれこれ愚痴。
だから入浴は苦になるらしい。風呂の楽しみが分からないとは可哀そう。
冷蔵庫の中を整理したり、漬け物を漬けたり、おかずをいくつか作った。
さつま芋の焼き芋を持参したので、それを2人で分けて食べた。
それでも、あっという間に4時になったので帰ることに。
やはり、買い物などで外に出ると時間をとられるので、炊事の時間が減る。
買い物や通院の付き添いなど外の用事は弟に任せて、
私は炊事や家の中のことに集中する方が良い。
以前は片付けばかりしていたが、今は台所で炊事ばかりしている。
最近の父には時々「おや!」と思うようなことが出てき出した。話がちぐはぐになることもある。
冷蔵庫内を確認していくことも出来なくなっているのだろうか。
毎年年末には庭木の剪定を業者に頼んで新年を迎えるのに、今年はしないと言う。
年齢的には無理もないのだが、これまでしっかりしていただけに少々戸惑う今日この頃。
■今年も今日で終わり。
今年は父には色々あって大きな変化の年だったが、それでも無事に年が越せることは嬉しい。
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美しく歳を重ねるために
■4月末に孫と長女の3度目の帰省。
孫のパパさんは今回は仕事で来られなかった。
3週間の日本滞在だった。
親世代の世話。
姑の2度の入退院、舅の入院1回。
実父の外出歩行困難に係わって、
介護保険サービス利用開始。
(リハビリデイサービス・掃除ヘルパー利用、手すり取り付け、ベッド借り受け、風呂椅子購入)、
玄関腰かけ椅子購入、風呂の給湯器付け替え・・などあれこれ行った。
買い物、通院付き添いなどにも介助が必要で、父の生活が大きく変わった。
夫はほぼ毎日のように実家(私の婚家)に出かけたし、私は週1回の実家行きが続いた。
次女の帰省は、1月、5月、9月の3回。大学院の学究生活に悪戦苦闘しながらも、
私生活も気になり将来を考え出している。来年こそは幸せがやって来ますように。
■両方の親の用事の合間を縫って、温泉好き夫の楽しみである温泉行きが相変わらず続いた。
しかし遠出はあまり出来ず、近場を巡ることが多かった。1年間の温泉入浴は計40回。
宿泊旅は2月の島根県・玉造温泉行き1泊だけ。食あたりで苦しみ楽しさが半減。
新幹線利用は、岡山県新見市に森林モニター会議に参加した日帰り旅。特急にも乗った。
■新聞のタウンリポーター活動も前期は頑張ったが、後期はやや不活発状態。
料理教室は、月1回の病院の教室、不定期の生協の教室、公民館の教室と結構参加した。
機会を見つけては家でも作って復習しているが、数の多さでなかなか追いつかない。
そろそろ参加をセーブして、溜まったレシピを整理ししっかり身に付けなければと思う。
映画は2本のみ。2月に「6歳のボクが、大人になるまで」と、12月の「海難」。
友と一緒に出かけるランチも、日帰りツアーも減った。
1月の三江線モニターツアー、8月のとうもろこしもぎ取り体験ツアー、11月の福山ツアーの3回。
講演会などに出かけることも減った。今年の前半は「相続セミナー」などに行ったが、
近場であれば行くが、バスで市内の中心部まで行くのは次第に億劫になってきており、
後半はかなり減った。
福祉センターでの入浴は、10月以降何度か利用した。
■今年買ったものは、
自転車、孫を後ろに乗せる補助椅子。プリンター。カメラ付き玄関ドアフォン。PC用の椅子を新調。
2階すべての障子張り、居間のソファーの配置換えなどを行った。年金満額支給スタート。
◆◆健康面は別途記事にした。
まあまあ元気で暮らせたし、大きな変化もない1年だった。
良い年だったと言えるかもしれない。
美しく歳を重ねるために
ドイツの孫のクリスマスの様子。
ドイツのおじいちゃん、おばあちゃんに囲まれて嬉しそう。
やはり本場のクリスマスの光景は一味違う。
明かりも控えめに、うっすらと明るい感じ。
たくさんのプレゼントに、孫は喜んだだろう。
時を同じくして、そのドイツのおじいちゃんとおばあちゃんからも
我が家にクリスマスカードが届いた。
カードもなかなか凝ったもので、見惚れている。
手紙は、一応英文なので辞書を片手に読んでいる。
←後で気づいたが、
カードの裏側にも模様があり、それも素敵だった。
そのクリスマスも終わり、
静かな日々になっていることだろう。
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美しく歳を重ねるために
今年1年の私の健康面を振り返ってみた。
膝痛・慢性でもう10年以上も患っている割には、良くもならないが酷くもならない。
今年1年は整形外科で注射などの治療もしていない。
塗り薬や湿布も今はほとんど使っていない。使い過ぎるとかぶれの症状が出るので、
少し休んでいたら、いつの間にか使わなくなった。
肩痛・五十肩はもう2年来の患いだが、昨年は何度も肩に注射をしたが、
今年はあまりしていない。MRI検査まで受けたが、心配するほどでもなかった。
湿布を貼り過ぎて皮膚がかぶれたが、最近は少しずつではあるが痛みが軽減してきている。
無理のないストレッチで血流を良くしていかなくては。
息切れ・もう1年以上呼吸器科に通院して、薬の服用をしている。
秋になってもいつまでも涼しくならず、少し歩けば汗が出る頃は息切れもしていたが、
冬の寒さの到来でそれが減った。だから10月末に1ヶ月分の薬を貰って以後
通院をしていない。薬を飲まずに様子見をしている。
体重・ここ2年、病院で栄養指導を受け、食事と運動に気をつけていたらかなり体重が下がったが、
栄養指導が終了してからは少しずつ体重が上がって来ている。
1ヶ月に1度カウンセリングをするだけだが、それが良い歯止めになっていたのだ。
食事で暴飲暴食をするわけでもなく、原因は間食にある。
家にいる時間が長いと、ついつい食べてしまうのだ。良くないことは分かっているのだが。
運動も、散歩くらいだが、暑い8月から3ヶ月余り続いたのに、今は次第に行かなくなった。
その代わり、出来るだけ日常生活の中で動くようにしている。
先日久しぶりに散歩に出た時の写真。市民菜園の野菜はよく手入れされている。
▼今は玉ねぎを植えている畑が多い。
▼もう菜の花が育っている。これは正月用に出荷するようだ。
椅子に長く座っているのは体に良くないらしいので、意識的にしないようにしている。
近場の買い物や用事は出来るだけ歩く。荷物があるのでつい車に乗るが、
近くは出来るだけ車の使用は控えたいと考えている。
夫は近くの病院のジムへ行っている。私はその意欲が出ない。以前は何年も通ったのだが。
睡眠・早寝早起きで極めて良好。
歯・歯の健康にも気をつけている。時々、かぶせが外れたり、歯茎が腫れたりするので
酷くならないよう日々注意だ。
花粉症・皮膚のかぶれ・アレルギーと関係しているのだろうか。春には花粉症で苦しみ、
夏はあせもやかぶれで、ここ数年皮膚科通いが年に1~2度定例のようになってきている。
腹痛・これも年に数回、食あたりで苦しむ。
同じものを食べても私以外は平気だったりするので、私は胃が丈夫でないのかもしれない。
風邪・現役時代は1年に何度か風邪をひいて長引かせていたが、
退職後は風邪もほとんどひかなくなった。ひいても安静にしておれば治る。
仕事をしていた頃は、やはり体に無理があったのだろう。
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美しく歳を重ねるために
「1年間の掃除チェック表」に従って計画的に掃除をしていけば、
年末の大掃除は必要ないのだが、やはり12月はあれこれ気になって掃除に励んだ。
1年間で○の付いていない箇所から優先していったが、そのうちそれ以外も気になって
ここしばらくは毎日何か掃除をしていた。
平素そこまでやらないこともあり、全身運動並みで結構な運動量になる。
窓や網戸の掃除では、上の方に体を伸ばすのでストレッチにもなる。
その結果、体のあちこちが少しばかり筋肉痛のような状態だ。
1月0、 2月1、 3月5、 4月10、
5月5、 6月6、 7月2、 8月16、
9月5、10月5、11月6、12月19
この表には、「毎日のモップでの床掃除」や
「週1回の掃除機かけ」は入っていない。
年に数回くらいしか出来ないような箇所を、
列挙しているのだ。
1月2月は寒さもあるし、
前年の12月に頑張ったのでその反動でさぼった。
4月は孫が来る前に少し頑張った。
7月は暑さが来て掃除どころではなくなった。
8月は暑さにも慣れて、夏は乾きも良く
掃除には最適なためか、よくやっている。
9月から11月まではそれなりにやっているが、
12月はさすがに張り切った。
1年間でとうとう○がつかなかった個所もある。
2階の押し入れ、台所の換気扇、食器戸棚、流しの下と上の天袋。
台所は掃除箇所が多くて大変。さしあたり困らなければ後回しになるのだ。
この表は毎年コピーして使えるようになっているが、使用しているうちに追加訂正もある。
だから一度に何枚もコピ―せずに、1年間の反省と分析をして少し手直しする。
←岡部さんの場合は
最初から予定月に○をつけておいて、
実行したら赤で色を塗るものだ。
この方が良いかもしれない。
来年はこれでやってみようか。
1年間の様子を見ていると、
1年が終わろうとしていることを実感する。
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美しく歳を重ねるために
昨日、たまたまテレビをつけていたら地元RCCが「第九ひろしま」をやっていた。
テレビ番組紹介欄には「母へ!平和へ!感動のタクト 山下一史 夏川りみ」とあった。
「第九ひろしま」は1985年から続くもので、今年で31回目になる。
その20日(日)に行われたものの録画放送だった。
後で知った新聞紹介欄にはこう書かれていた。
「指揮者は国内外で活躍する広島市東区出身の指揮者・山下一史さん。被爆者の母を昨年亡くした。被爆70周年のコンサートは、一層広島への思いと平和への思いをタクトに込める。第1部のゲストは夏川りみ。1700人の合唱団と奏でる感動のフィナーレを届ける」
私は1度だけ鑑賞に行ったことがある。ゲストに黒柳徹子さんが来た時だから
1989年、第5回のことになる。それ以後見に行っていない。
指揮者の山下一史さんは22回から4年連続指揮をしている。そして今回もそうだ。
渾身の指揮で、汗だくになりながら指揮をしていた。
山下一史さんについては、以下の様な経歴だ。
1961年広島市生まれ。中学校の途中で単身上京し、桐朋学園中学、高校で学ぶ。
指揮を小澤征爾らに師事。桐朋学園大学卒業後、ベルリン芸術大学に留学。
1986年デンマークで開かれたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。
1985年12月からカラヤンの亡くなるまで彼のアシスタントを務め、
以後、デンマーク放送交響楽団などを指揮、着実にヨーロッパでの実績を重ね、
1993年から1998年までヘルシンボリ交響楽団(スウェーデン)の首席客演指揮者を務めた。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演で、急病のカラヤンの代役として
ジーンズ姿のまま「第九」を指揮、脚光を浴びる。
実は、私は中学2年生の時の山下さんを知っている。
勤務していた学校で、1年間だけ授業で教えたのだ。
当時から音楽に興味関心が強く、昼休憩には音楽室でピアノを弾いていた光景を思い出す。
今思えばのどかな時代だ。今なら授業後は鍵をかけて入ることなど出来ないものだが。
その山下さんのことについて書いた以前の記事。⇒
その後の活躍は色々目にしていた。今回テレビ番組では、
終了後に出演した人へのインタビューで、中学校当時の担任の男の先生が出た。
私もよく知っている人だった。参加していたんだと知って懐かしいことだった。
この先生も山下君も年をとった。もちろん私自身ですら同じだが。
当時からもう40年くらいたっているのだから当然ではある。
この第九ひろしまは、出演者1700人、聴衆と合わせて5200人とも言われるが
さほど大きなものではない。規模的にはもっと大きなものもある。
しかし、実際その場で見ればかなりの迫力であることは確かだろう。
近頃は出かけることが少なくなった。コンサートにも長らく行っていない。
以前は、クリスマスイブには何年かクリスマスコンサートに行ったものだが。
外出が億劫になると、心身ともに鈍って来ている気もする。
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■中国新聞「天風碌・12/27」によれば・・・
「指揮者は激務・・まばたきより短い演奏のずれも聞きわけ、指示を出す。
タクトを振る回数が何と2万回以上に及ぶ日さえもあるという。
首や腰のあたりにガタのくる指揮者もめずらしくはない。・・・・」
何とも大変な仕事ではある。どんな仕事も大変ではあるのだが。
美しく歳を重ねるために
小島慶子「解縛(げばく)」しんどい親から自由になる 新潮社、2014年2月初版・4月3刷
1927年オーストラリア生まれ。
小学生の頃、シンガポールと香港で暮らす。学習院大学卒。
1995年にTBSにアナウンサーとして入社。2010年からフリー。
15歳から15年摂食障害に苦しみ、
2人目の男の子を出産後、33歳で不安障害に。治療の過程で、
主に母親との関係を中心とした生育関係の原因が判明。
カウンセリングなどを通じて
自分と家族との関係を捉えなおすことになる。
本を読んで、重く苦しい気持ちになった。
家族とのかかわりがこれほどの影響を与えることになるとは。
この人がアナウンサーとしてスタートした時のことを、私はリアルタイムで見ている。
いわゆる爽やかな女子アナとは違う一風変わった人だという印象を持ったものだ。
アナウンサー現役時代にまさに摂食障害で苦しんでいたのだから、
爽やかなばかりではおられなかったのだろう。
父、母、9つ違いの姉それぞれに対する思いが書かれている。
自身は33歳で2人目の子どもを出産後、自分が母となってから
これまでずっと抑圧されていた家族への怒りが出て来たという。
家族からは「3歳から反抗期だった」と言われ、「扱いにくい子だ」と思われていた。
自分では「小島家の鬼子(おにご)」と言っている。
あるベビーシッターが言ったという言葉、
「男の子は身体が疲れる。女の子は心が疲れる。すぐ泣く、すねる、嘘をつく。」
男の子に比べ女の子は育てやすいと言われるが、
孫を見ていると確かに体力的には男の子の子育てには大変さを感じるが、
私自身2人の娘の親として、女の子だから楽だとも思わない。それなりに苦労はある。
著者はいじめにもあった。癖のある自我の強い子のようだったから、
同年代の子には理解できない存在だったのだろう。
特に影響があったのが母親だったと聞き、親の影響力の大きさにはただただ驚くばかりだ。
9歳上の姉が結婚してからは、自分だけに母親の意識が向くことで重圧があったのだろう。
母とは毎日のように言い争いをしていたという。
「ただ認めてほしかった。一生懸命頑張っているのね。」と言ってほしい思いだけだった。
「そこにいてくれてありがとう。」と受容して欲しかったのだ。
それを救ってくれたのが夫だという。
そのうちに、母の不安と孤独を知り、1人の女として母親を捉えなおすことが出来たのだ。
母が支配したかったのは、娘ではなく自分の人生だったのだ。
「いつか家族のことを書いてみたら」と勧めたのは神足裕司(こうたりゆうじ)さん。
広島と東京で活躍する人で、広島のテレビでもよく見ていた人の名前を見て驚いた。
神足裕司さんは・・・・
反響を得た。「マル金・マルビ」は流行語となり、同年の第1回流行語大賞を受賞した。
一方で放送コメンテーターとしても活躍し、TV、ラジオなどメディアへの出演機会も多い。
禿頭で黒縁のメガネと蝶ネクタイがトレードマーク。
2011年9月、広島での番組収録後に帰京する際、搭乗した航空機内で体の異常を訴え
「くも膜下出血」とされ緊急入院となった。2012年年9月に退院したが、
半身麻痺及び高次脳機能障害の後遺症が残る。退院後家族は自宅介護の道を選ぶ。
2013年12月、発病後初の著作「一度、死んでみましたが」を上梓した。>
思わぬことで、2人のつながりと、人間が生きるということの大変さを知った。
こんなエピソードもある。
<2011年6月TBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』の生放送中に立ち寄った秋野暢子が
1986年の人気TVドラマ『男女7人夏物語』の主人公カップル(明石家さんま、大竹しのぶ)は、
神足裕司夫妻がモデルだと発言。当時夫人への取材の事実があったことをその場で認めた。>
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美しく歳を重ねるために
「なんとなくな日々」川上弘美著、岩波書店、2001年3月発行
川上 弘美(かわかみ ひろみ1958年生まれ)は、日本の小説家。東京都生まれ。
お茶の水女子大学理学部生物学科在学中よりSF雑誌に短編を寄稿、編集にもたずさわる。
高校の生物科教員などを経て、1994年、短編「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞。
1996年「蛇を踏む」で芥川賞受賞。
幻想的な世界と日常が織り交ざった描写を得意とする。
作品のおりなす世界観は「空気感」と呼ばれ、内田百の影響を受けた独特のものである。
その他の主な作品に『溺レる』、『センセイの鞄』、『真鶴』など。俳人でもある。
エッセイが苦手で、この文章は
「がまの油をぎゅうと絞るようにして書いた」「そこはかとないことごと」だ。
公民館でたまたま見つけたかなり古い本。
文中に2人の息子は出てくるが、
夫の存在が全く出てこないのが不思議なほどだった。
2009年に離婚したというから、この本が書かれた1997年~2000年頃すでにその予兆があったのか。いらぬ想像だけど。
エッセイとはいえやや抽象的な不思議な世界が広がる。「幻想的な世界と日常が織り混ざった描写を得意とする」を実感。
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美しく歳を重ねるために
過去記事から、これまでの我が家の<クリスマス料理>を整理してみた。
たまに見直すのも良いものだ。
今年の料理。ほぼ手作り。
後で気づいたが、のどが渇くと感じた。やはりスープ類があった方が良かった。
去年は、溜まったポイントを使って、コンビニでケーキを買った。
一昨年は、次女と一緒に作った。材料もわざわざ買いに行って、少し豪華に。
2人で作るとさすがに早く出来る。「仕事は大人数」が良いのだ。
2012年は、頂き物のケーキと鶏足を中心に、少し手作りの品を添えた。
2010年は、ピザと手巻きずしを買って、それに少し足したもの。
決して豪華ではないが、ささやかながら幸せを感じる時。
いくらパーティー料理とはいえ、豪華すぎると胃がびっくりするのでこれくらいで良い。
胃に負担のかかる料理は、年々食べられなくなっている。
美しく歳を重ねるために
昨日はクリスマス・イブ。そして今日はクリスマス。
「クリスマスとはキリスト教の<降誕祭>
というお祭りのことを言う。
キリストが生まれた日ではなく、
教会が決めたお祭りの日だ。
クリスマス・イブは、
クリスマスの夜「聖なる夜」だが、
キリスト教では25日はクリスマスだが、
24日は別に何でもない。
教会暦では、日没で日が変わる。
例えば18時が日没としたら、
24日の18時~25日の18時までが
クリスマスになるのだ。」
子供たちが幼い頃はパーティーをして楽しかったが、今はその楽しみもない。
ドイツの長女の家では、ツリーを飾って孫はプレゼントを前に喜んでいるだろう。
やはり小さな子供がいないと始まらない気がする。
次女はクリスマスもお正月も出かけており、今回は帰省しない。
前に帰ったのは免許証の更新時の9月だったか。盆も正月も帰らないことになる。
私も長く上京をしていない。なかなか日にちが合わないのだ。
だから、クリスマスもお正月も夫婦2人だけだ。寂しいものだ。
新聞に入っているスーパーの折り込みチラシはクリスマスパーティー食で一杯。
それを見るだけで、何か作りたくなるのだ。
現役時代はパーティーもよくしたが、ほとんど市販品だった。
今は買ってまで大げさにする気もない。ほんの気持ちだけと思いささやかに料理を作った。
<鶏足、フランスパンのガーリックトースト、サラダ、ケーキ、シャンメリー>だ。
ケーキは一応「ブッシュ・ド・ノエル」(切り株のケーキ)のつもりで作ったが、
クリームが軟らかすぎて失敗。
脂肪分25%カットの低脂肪ホイップで、
「低脂肪タイプですので、柔らかいホイップになります。
またホイップしすぎると、液状に戻ってしまいますのでご注意ください」と注意書きがあったのだが・・。
飲み物、パン、ケーキの土台以外はすべて手作りだから、費用もそう多くはかかっていない。
ささやかなものだ。
■やっと完成して「さあ食べよう!」と思った時、
舅のことで急用が出来て、食べるのはお預け。慌てて婚家に駆け付けた。
一段落して帰宅後食べたが、食後、夫はまたしてもいるものがあるので買い物に出かけた。
せわしいことだ。義妹は家事もあるし、何かと大変だと思う。
夫の実家も、今はまさに介護の真っ最中で大変なのだ。
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