日曜日は運転免許証の更新に行ったが、その後、雨の中を温泉へ行った。
とはいえ、近場で。
宇品天然温泉・ほの湯へ。
2016年温泉入浴 20回目 5月29日(日)
誕生日記念無料券の期限が5月末までなので、
どうにか利用できた。
同伴者は通常750円のところ、この券利用で500円。
平日でもお客でごたがえすが、
日曜日の夕方なのでさぞやと思ったが予想以上だった。
ここは広島市内の近場で本格温泉が楽しめるので
人気なのだ。スーパー銭湯気分だろう。
駐車場もいっぱいで、2階屋上にかろうじて入れた。
中ももちろんいっぱい。
これほど多くのお客を目にしたのは、かつてない。
おまけに日曜日は<再入泉不可>だから、1回しか入れない。
■入浴後は18時前で、もう夕食時。ここのお食事処「あかね茶屋」で食べた。
このところ夕食を早目に食べているのだが、この日は遅くなった。
それに、軽く食べようかと思ったが、これぞというものがなくつい定食物を選んだ。
▲タルタルソースがたっぷりだ。
肉たっぷりだ。外食は昼食の方が体にも良い。夕食なら軽いものにしないといけなかった。
その分、翌日の朝食を1時間遅らせて食べた。
私の「8時間ダイエット」は、「16時間不食ダイエット」を意識している。
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美しく歳を重ねるために
昨日は、運転免許証の更新にやっと行った。
場所は広島県運転免許センター(広島市佐伯区石内南)。
市内中心部からも、我が家からもかなり遠いので、夫の運転の車で行った。
よりによって日曜日に行くこともなかろうと思ったが、行ける日に行った方が良いと夫が急かすので、
3回あるうちの3回目の15時からの講習に行った。聞けばいつも午前の1回目が1番多いそうだ。
受付後、適性検査(視力)、写真撮影を済ませても、講習開始までには1時間もある。
夫はとにかくせっかちなので、早くに家を出たら早目に着き過ぎた。
5階に上がって食堂を覗いたり、「セーフティープラザ」に入って時間をつぶした。
子どもが喜びそうな場所があったのは、これまで知らなかった。
上から眺める外の景色は良いものだ。市内中心部から外れた場所に出来たので、施設も大きい。
■免許を取得してもう38年になるが、今回初めて「安全協会」に入会しなかった。
毎度存在意義を感じないのに、迷いながらも入っていた。
以前はほぼ強制的な感じで入っていたが、ブログ交流で、他県では入っている人は少ないと聞いた。
さすがに近年はその問題点を指摘する人もいるからか、以前のような強制感がなくなってはいた。
入会を丁寧にお願いされはしたのだが。
入会者には資料が入ったビニール袋が貰えるようだが、
集合した場所で見ても、その袋を持った人は半分にも満たないようだった。
以前は免許証入れケースを貰ったが、財布に入れるには邪魔で結局何の役にも立たなかった。
更新手数料2500円、講習800円。今回は計3300円で済んだ。
これとて結構な値段がするものだ。別の話ではあるが、パスポートにしても何とも高い。
必要なものなのであまり文句も言う人もいないが、1時間の講習が800円もするとは信じられない。
安全協会は5年間で2500円かかる。だからいつもは計5800円もかかっていたのだ。
お金だけの問題ではないが、結構大きなものだ。意味も感じないで不満な思いで入会するのは
納得できないと思ったので、今回ははっきりと断りの意思表示をした。
■講習は1時間。全部終了したのはもう16時になっていた。一日中雨が降り続いた日だった。
前回の更新は2011年。2月に孫が誕生した年で、3月30日から6月1日までドイツに滞在、
帰国後、更新期限ぎりぎりの6月20日にやっと更新を済ませている。
これで次回は5年後。平成33年という文字が嘘のような感じだ。
孫はもう10歳になっている。そのことを考えるだけでも想像以上の年月だ。
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■5年前の記事を読んでみたら、自分でも忘れていたことを書いていた。
久しぶりの病院・自動車免許の更新へ
2011・6・21

美しく歳を重ねるために
最近知った「8時間ダイエット」を少しずつ実践している。
ブログのお友達の記事で知ったが、テレビでもやっていて
ネットで検索して読んでみたら面白そうなので興味を持った。
「8時間ダイエットとは、一日の内8時間の間だけ食事を摂って、
それ以外の16時間は何も食べず水分だけ摂るというダイエット。
8時間以内なら何を食べてもいいが、過剰摂取には注意が必要で
8時間内での食事というと、一日3食は無理で2食になってしまう。
その結果1食分のカロリーが抑えられるので、ダイエットできる。
それから、16時間の間食事をしないので、長時間消化器官を休めることになる。
このことで胃腸が正常に働くようになり、内臓疲労の回復も期待できる。
このダイエットは、食事制限だけでなく軽い運動をしてより効果をあげていく。」
でも、これをきっちりと実践するとなるとなかなか大変。1日2食では落ち着かないので
やはり3食になるが、8時間以内となると忙しいし、時間的にもやや難しいのだ。
今は、7時、12時、17時を一応の目安に食事をしている。こうなると10時間ダイエットになる。
そして、17時以降は一切食べ物を口にしない。夜にかけての14時間は何も食べないのだ。
これがすこぶる調子が良い。胃がしっかりと休まるので、朝起きた時の胃のもたれがない。
これまで夕食は18時前後だったが、夕食までにどうしても間食が欲しくなる。
10時のおやつや3時のおやつが習慣化していた。
食事の間が狭まるとおやつを食べることが減るのだ。これがダイエットになる。
とはいえ、劇的な効果までにはなっていないが、少しずつ減ってきてはいる。
上京中の7日間は、日に1回は外食をしていた。外食が続くとてきめん体重に影響する。
しかし、今回の7日間は体重の増加がなかったし、胃のもたれもなかった。
理想から言えば、食事を2回にして8時間内に収めるのが良いのだろうが、
今のままの3回で8時間内にするか。食事時間を8時、12時、16時にする。
(しかし、16時以降朝まで全く食べないのもやや苦しい。
朝食をもっと遅くすれば良いのだろうが、長年の習慣は変えにくい。)
これを実践すれば、食事量が減ることになる。間食もしている暇はない。
食事時間をあまり気にせず、17時以降は絶対に食べないことを守るだけでも、効果は十分だ。
世の中には不食や1日1食の人もいるという。タモリさんもそうらしい。
人間は、3度3度しっかりと食べることも必要ないのかもしれないのだが。
まあ、健康や、栄養、運動などの情報は日々大きく変わることも多いので
すぐに飛びつくことも良くはないのだろうが。実践してみて自分の体に合うようなら良いのだろう。
がむしゃらにやっても長続きしなければどうしようもない。息長く続けてみたい。
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美しく歳を重ねるために
昨日のオバマ大統領広島訪問は、結局テレビで見た。
相当な警備だろうから、現地に行くよりはテレビの方が一目瞭然だろうと考えたのだ。
家にいたので、平和公園付近の厳戒態勢の直接の様子はわからなかったが、
新聞やテレビで見る限り、かなりのものだったようだ。
以下の「 」は新聞報道記事によるもの。
平和公園とその周辺は「終日、午後から、午後3時から立ち入り禁止区域」に分かれていた。
オバマ大統領は
「中部空港から大統領専用機エアホースワンで~山口県岩国市のアメリカ海兵隊岩国基地へ~
ヘリコプターで広島ヘリポートへ(広島西飛行場跡地)~専用車で平和公園へ。」
岩国~広島間はヘリでなんと10分で着いた。オスプレイも警備するかのように一緒に飛んでいた。
私はいつも同じくらいの距離を車で走っているが、1時間半かかる。
「道路には100か所以上の検問を設け、車のルートも一時的に規制し、
広島高速3号線のルートは上下線全面通行止めになった。」
ガラガラの道路の上下線を使い、すいすいと車が走っていた。
「広電の路面電車も訪問時間帯には運転を見合わせ、バスも10便運休した。」
平和公園では安部首相がちゃんと出迎えていた。どういう経路で広島入りしたか気になった。
今日の朝刊「首相の動静」によると・・・
「伊勢志摩スペイン村の臨時ヘリポート~海上自衛隊ヘリコプターで中部空港へ
~航空自衛隊CI輸送機で海上自衛隊岩国基地へ~陸自ヘリで旧広島市民球場跡地へ
~平和公園へ」
「午前中はG7の会議、午後からの広島では行事を終えて19時12分の新幹線で名古屋へ。
21時35分名古屋の宿泊ホテル着」とある。安倍首相にとっても長い一日だっただろう。
オバマ大統領も安部首相も、ともに関係者が綿密に立てた計画によったもので、
あらゆる裏方の苦労のほどがわかる。
「オバマ米大統領は
27日夕、広島市中区の平和記念公園を訪れ、
原爆慰霊碑に献花した。
献花に先立ち、原爆資料館を見学。
原爆を投下した米国の現職大統領の広島訪問は初めて。」
テレビ観戦をしながら、
ここに至るまでに71年かかったことに深い感慨を持った。
スピーチや当日のスケジュールも、
背景となるものを背負ってのことで、綿密な打ち合わせの結果だろう。
平和祈念式典にも、日本の総理大臣が参加するのにかなりの時間がかかったが、
今ではそんなことが嘘のように参列は当たり前のごとく普通になっている。
今回のオバマ大統領訪問をきっかけに、今後はこのようになるだろう。
その意味では歴史的な一コマとなった。
願わくば、今後はもっとゆっくりと時間をかけて、特に原爆資料館は丁寧に見てほしい。
オバマ大統領訪問一色になった広島だった。私はテレビにくぎ付けになった日だった。
美しく歳を重ねるために
先週の水曜日から今週の火曜日までの7日間上京したので、自宅を空けた。
帰宅してみると、やはりあれこれ用事が溜まっている。
まずは新聞の片付けから。1日3部もあるので、7日分なら読むだけでも時間がかかる。
おまけにその後スクラップをするので、全部終えるのに何時間もかかった。
畑も気になる。鉢植えのイチゴはとうとう枯れてしまった。
玉ねぎも収穫して、種から植えて芽が出たトウモロコシやゴーヤなどを植えなければ。
キュウリ、ミニトマト、ゴーヤ、トウモロコシ、シソなどがどんどん伸びている。
これから梅雨に入れば水はたっぷりなので、どんどん成長する。
その後は夏の暑さの中で、水やりの日々となる。
溜まったメールチェックもし、毎日印刷していたブログ記事も印刷しなければ。
旅行で使った衣類などの洗濯もたくさんあった。
帰宅したとたんに雨の日が続くので、シーツ類を洗うのに躊躇する。
掃除もしばらくしていないのでしなければ。
こたつ布団もそのままで、クリーニングに出さねば。
厚手のじゅうたんも干して片づけたい。
衣替えの季節にもなった。日によっては長袖では暑いほどだ。
今月はもう誕生日が済んでしまった。運転免許証の更新にもまだ行っていない。
図書館の本も返さなければいけない。
平素は何ともない日々だが、こうして家を空けるといかに家事が溜まるかがよくわかる。
気分だけがはやる。
ドイツには3度行ったが、1回で最高2か月半もいた。夫は留守番だった。
出かける前後には家事が大変だったことを思い出す。主婦は大変だ。
■今日は免許証更新に行こうか、それともオバマ大統領の広島訪問を見に行こうか。
厳戒態勢だろうから、テレビで見る方が良いだろうか。歴史的な時になる。
美しく歳を重ねるために
昨日は実家行きの日。前回は16日(月)だったので、10日振りだ。
1日中雨が降った。私が行く日に限ってよく雨が降る。
雨でも無視してシーツなどの大ものを洗濯して、軒下に干した。
後はいつも通り。野菜と厚揚げの煮もの、大根なます、即席バラ寿司、ソーセージ入りスクランブルエッグ・・・などを作った。
父は相変わらずだが、自転車に乗ることをいまだに諦めていないらしく、先日乗ってみたらしい。
結構な運動量になって、帰りは疲れきったという。
おまけに、片目にクマが出来たという。慌てて病院へ行ったら「血液をサラサラにする薬を飲んでいるので、それが影響しているのではなかろうか」と言われたとか。
とにかく、無理は禁物だ。「自転車はもう諦めなくては。」と言ったのだが・・・。
■前回、実家に行った時に父に読んでもうために持参した本。
阪上史子著「大竹から戦争が見える」ひろしま女性学研究所発行・2016年2月初版
地元・中国新聞の「読書」欄に紹介があった本だ。
著者は1946年広島県西の端・大竹市で生まれ育ち、地元大学卒業後、
兵庫県の公立高校教諭を定年まで勤めあげ、2007年に退職。宝塚市在住。
2001年中国の海南島戦跡フィールドワークに参加時に、思いがけず大竹との深い関係を知った。
その「2つの土地の接点に自分がいるという実感から、調査の原動力となった。」
その後ひんぱんに大竹に暮らす母を訪ね、市役所や図書館に通い歩き回った。
人口3万人弱の大竹市は、今では石油コンビナートで知られる町だが、
歴史遺産たっぷりな町でもある。1608年に出来た亀居城は今は城跡が残っている。
玖波本陣もあった。
1866年の第2次長州戦争の最前線地(芸州口の戦)。
島倉千代子の歌った「あゝ征長隊」には<大竹口に陣を布く>とある。
その作詞の石本美由紀さんは大竹の人。ヒット曲「憧れのハワイ航路」は大竹港のことだ。
明治以降は海の埋め立てにより新開が出来た。終戦前後の激動の時代。
大竹海兵団では15万人もの人がここで軍事訓練を受け潜水学校もあった。1945年4月に
沖合で訓練中の潜水艦が沈没して115人が死ぬという事故があったことはあまり知られていない。
広大な軍用地。軍人用住宅は200戸もあり、海軍都市だったのだ。
それらは戦後、国立病院、中学校、高等学校、警察学校、民間企業に転用や払い下げされる。
農地改革により耕作者への売却もされた。
戦後の進駐軍は、米軍、英国軍、ニュージーランド軍が担当した。
全面返還は1961年までかかり、その後は工場誘致が進み、大工場地帯となる。
今では夜景観賞スポットとして西日本第4位にランク付けされている。
日本全体では660万人もの引揚者がいた。大竹港への復員引き上げ者は41万人。
そのうち300人が第2の故郷として住み着いた。
税関や検疫病院などもあり、業務従事者が約1000人もいたという。
大竹市の2005年のメモリアルイベントのために、
映像「大竹港引き上げの記録」をアメリカ公文書館から入手をしている。
企業城下町大竹だが、著者は三菱レーヨンに住んでいた「社宅住まい族」だったのだ。
そこでの生活も描かれている。工場建設と拡張のために多くの人が移り住んだ。
飯場、朝鮮人(400人)、中国人のことも出てくる。
逆に、明治以来大竹市は、ハワイ、ブラジル、ペルーへの移住もあった。
前述の「憧れのハワイ航路」がそうだ。
1945年9月の巨大台風「枕崎台風」は、死者が3000人にも達したものだが、
広島県呉市では山津波で2000人の死者が出た。京都大学の原爆被害者調査と治療のための
大野陸軍病院では、山津波で176人もの死者が出ている。
救出に大竹海兵団、潜水学校生徒が対岸から船で駆けつけた。
1947年12月に天皇陛下の大竹訪問(天皇行幸)があった。36分の滞在後宮島に向かっている。
・・・・・・
読めば読むほど歴史の歩みを感じる本だ。父もこの本にいたく感動していた。
「本当によく調べている。自分もあらゆることを知っているつもりだったが、
知らないことが多かったほどだ。」と言っていた。
単なる調査結果だけでなく、自分の育ってきた思い出話などもたくさん盛り込み、
身近な話として読みごたえがあり、完成された本になっているのだ。
それでも、関係者以外にはあまり関心がないかもしれない。
戦争関係者ももう数えるほどになった現在だ。「戦後は遠くなりにけり」ではある。
■「藤原家のたからもの」藤原美子
集英社・2016年1月第1刷発行
著者は心理学者、エッセイスト、翻訳家。
夫は、数学者でエッセイにも定評があり、
ベストセラーになった「国家の品格」の藤原正彦さん。
夫のエッセイにも妻はしょちゅう顔を出す。
アメリカプリンストン生まれ。お茶の水女子大修士
(発達心理学)修了。男の子3人の母。
心理学の教鞭をとり、執筆活動を続けている。
題名が示すように、藤原家の宝物についての話だ。
義父母の作家の新田次郎と藤原ていさん夫婦も登場する。
生まれた子が3人すべて男の子だった時の、出産時の夫の態度が出てくる。
京都の出町ふたばの「黒豆大福」「豆餅」のことも出てきた。
昔過ごしたイギリスのケンブリッジを訪ねた後から、隣家の住人から熱烈なラブレターが
届いたという話。そのラブレターの文面を載せているのにはびっくりするやら笑えるやら。
そしてそれは今、著者の大切な宝物になっているのだ。
夫も大した人物だが、妻もそれにも増してスケールの大きな女性なのだ。
ユーモアセンスも負けてはいない。
ある雑誌の書評欄には、この人を称して「只者ではない」とあった。
美しく歳を重ねるために
東京滞在7日目(5月24日・火曜日)
■朝から荷物を詰め、帰り支度。
使った布団も干して、最後に圧縮袋に入れた。
使った部屋は、もう一度隅から隅まで掃除を綺麗にしておいた。
■お昼をどこで食べようか迷ったが、重い荷物を持ってあちこち歩くのも大変なので、
自宅近くの電車の駅そばにある「バーミヤン」に決定。
「最後のランチがバーミヤンでは申し訳ない。」と娘は言うが、私は何ともない。
バーミヤンはかなり昔1度利用しただけなので、むしろもの珍しい感じだ。
私は定食物を食べることが多く、娘は単品が多い。
外食はやはり恐るべしである。心しなければいけない。
食べ終わって帰る時、入れ違いに入ってきた女性2人の外国人に
「ここは美味しいですか?」と日本語で聞かれた。「もちろん美味しいですよ。」と答えた。
■7日間の東京滞在では、朝と晩は家で食べたが、昼は外食が多かった。
毎日外食では胃も疲れるが、夕食を早めに食べ17時以降は何も口にしない生活をしたら
胃には優しい毎日になって、さほど胃が疲れることがなかった。
今朝、久しぶりに体重測定をしたら、体脂肪が下がっていた。これはよく歩いたからだろう。
13時前に品川から新幹線に乗った。東京始発で座れないかと思ったが、そうでもなかった。
新幹線ではほとんど眠ってばかり。朝早く目が覚めるので眠くてやれない。17時には広島に着いた。
■帰宅してみると、庭の野菜や花々が水不足で青息吐息。
出かける時に急いでいたために、
夫に水やりを頼むのを忘れていた。
1週間も雨が降らず暑い毎日だったのだから、
可哀想なことをしたものだ。
夕べから雨が降っているので、少しは持ち直すか。
1週間分の新聞もたまっている。
👈写真の花はストレリチア(極楽鳥花)。
東京滞在中に見たもの。植木鉢に植えられているもので、
こんなにたくさんの花がなっているのを見たのは
初めてだ。何とも豪華で感動ものだ。
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美しく歳を重ねるために
東京滞在5日目(5月22日・日曜日)
■日曜日のお祭りでは何か美味しいものでもあるかと思ったが、さほどの物はなかった。
お昼をここで食べようとしていたので、当てが外れた。
仕方なく何か買おうと周囲を見渡すと、「京樽」というお寿司屋さんがあったので、
持ち帰りのお寿司を買って家で昼食にした。娘に聞けばお寿司の専門店らしい。
<株式会社京樽(きょうたる)は東京都中央区日本橋人形町三丁目に本社を置く企業である。
持ち帰り寿司の「京樽」、寿司店の「海鮮三崎港」「すし三崎丸」などを運営している。>
お店も綺麗でしゃれた感じだが、お寿司業界は厳しいらしい。ここも例外ではないようだ。
看板に人形町という文字が見える。お寿司は新鮮で美味しかった。値段も比較的安かった。
■お祭りには午前中と夕方の2度行ったが、娘の要望で「大阪名物いか焼き」を買った。
東京で大阪名物を買うのも変なものだが、私の知っているいか焼きと違うのも変なものだ。
粉物のお好み焼きにいかが入っている感じだ。娘は以前食べた方が断然おいしかったとか。
東京滞在6日目(5月23日・月曜日)
もう6日も東京に滞在している。
午前中は洗濯をしたり、マット類を干したり、床のモップ掛けなどをして過ごす。
観光本を見ても、もうめぼしい場所はほとんど行っており、行きたい場所もない。
むしろ、近場を散策する方が楽しいくらいだ。今回は電車に乗ることが全くなかった。
その代わり歩くことが多かった。
昼食も歩いて行ける範囲で、いつもとは別の商店街に行き、ベトナム料理を食べた。
珍しく趣向が変わってこれもまた良いかもしれない。娘は気に入っていた。
帰りに八百屋さんに寄ってスイカを買って帰り、午後のおやつに食べた。今年の初物だ。
真夏の盛りのような甘さがまだ少し不足しているが、美味しく食べた。
今日は随分暑かったらしいが、1日中外にはいないのでそう感じることもなかった。
夕食後は、このたび2回目の銭湯へ行った。昼間に通ったら閉まっていたので、
営業しているかどうか不安になる。電話をかけてから出かけた。やっていた!!
松の湯(東京都世田谷区) 2016年温泉入浴 19回目 5月23日(月)
外観も中の脱衣所も随分古い。
高い煙突がそびえたち、薪で沸かしているという。
お風呂の中は結構明るいし新しそう。
大きな壁絵には富士山が描かれている。
よく見ると、28・4・29とある。綺麗なはずだ。
最近描き直したようだ。
男湯と女湯の間を仕切っているが、
全体が一つの大きな空間で、
天井が高くて、両側の窓から光が入り、とにかく明るい。
湯船は3つ。
前回の「つばめ湯」といい、「東京銭湯」というチラシの写真といい銭湯の形態がよく似ているような感じだ。
しかし、窓ガラスには何か所もヒビが入っているし、壁のペンキがはがれている場所もある。
洗い場の数は25以上もあるが、椅子や洗面器はその半分くらいしかない。
ここにもシャンプー類があった。銭湯は安いのでシャンプーを置いていない所が多いのだが。
18時前だったがお客は5人くらい。月に300円で専用の荷物入れが借りられるようだ。
こんな根強い地元客もいるのだろう。
帰り際に番台に座っている男の人にこの銭湯の歴史を聞いたら「昭和の初め頃から」だそう。
「古いから、地震があるとがたがた揺れる」と言う。
そういえば、窓ガラスにヒビがたくさん入ったままだった。
熱心な銭湯ファンもいて、ネット検索すればブログが出てくる。
この銭湯についても詳細な記述があった。行ってみるとまさにその通りなのに笑ってしまった。
広島にはこんなに身近に銭湯がないのでこういう生活は望めないが、
週に1~2度でも利用すれば心身ともに癒されそう。
東京滞在7日目(5月24日・火曜日)
今日はもう帰る日。いつまでもゆっくりしてもおられないのでそろそろ帰る。
何とも長居をしたものだ。今回はゆったりとした日程で、娘の自宅付近の日常の生活が覗けた。
昔ながらののどかな町、商店街を中心にしたゆったりとした生活が垣間見られた。
ビル群に囲まれた都会的なものではなく、低い家屋が軒を連ねている。
老若男女、あらゆる世代が暮らしている理想的な世界だ。まあ楽しくも貴重な生活体験だった。
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美しく歳を重ねるために
東京滞在5日目(5月22日・日曜日)
商店会主催の駅前音楽祭やフリマなどのお祭りがあるようなので出かけてみた。
駅前広場では音楽祭が行われていた。これは土日の2日間行われるもので、
土曜日に図書館に行った時にも歌声が聞こえていた。
何やら馴染みのある曲だと思えば、「365日の紙飛行機」だった。
商店街は通行禁止にして、お店がたくさん出ていた。
買いたいものもあったが、狭い娘の家の邪魔になってもと思えば買えなかった。
音楽祭はもう14回にもなるという。
管弦楽部演奏、ピアノの弾き語り、合唱団、コーラス、軽音楽、ライブ活動、吟と詩舞、
大学生デュエット、シャンソン、ジャズ、吹奏楽、和太鼓、フラ、ギター、ダンス、尺八、
キッズヒップホップ・・・なんとも盛りだくさんだ。
これを地元の商店街が主催するのだから、大したものだ。
和太鼓だけを見た。席もないのでずっと見るのは疲れるので長居はしなかった。
せっかく外出したので、周辺の散策。
とはいえ歩き過ぎるとすぐに足が痛みだすのでほどほどに。
近辺に銭湯がもう1軒あるらしいので、探してみた。まだ閉まっていたがやっているのやら。
何とも不思議な感じの銭湯だったが、高い煙突がそびえていた。
家に戻りプログラムを見てわかったのだが、2日間の駅前音楽祭の最後に
<雅楽師の東儀秀樹さん>が出演するとあった。
私は広島でのコンサートに行ったことがある。テレビで息子さんと一緒に出ているのを見たこともある。
夕食後、再度行ってみた。18時半ごろの出演まで時間があるので、また図書館に行った。
東儀さんが出演する頃になると人がどんどん増える。地元だけでなく遠方からも来るらしい。
椅子席は少ししかなく、ほとんどが立って見ている。さすがにこれは少しきつい。
友達と結成した趣味のロックバンドが1時間あった。小学4年生の息子さんもギターで出演。
息子さんは東儀さんが47歳の時の子で、親子が仲が良さそうだ。
その後、いよいよ東儀さんの本業の雅楽演奏のコンサートがあった。
80歳代のお母さんと2つ上のお姉さんと3人での演奏だ。
美しい音色に皆感嘆していた。20時前にもなるし、もう立って見るには足が限界なので、
途中ではあったが帰ることにした。何とも長い時間を過ごしたが、良い記念になった。
たまたま出かけた地でこのような催しに出会うとは、感動のひとときになった。
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美しく歳を重ねるために
東京滞在4日目(5月21日土曜日)
このたびの東京滞在は、以前のような観光への意欲があまりない。
東京観光もかなりしたので、ぜひ行きたい場所もなくなりつつある。
◆娘は朝食を食べないことが多いので、私一人で食べることが多い。
ドイツにいる時も、朝食だけは自分一人で食べていたので、その時のことを思い出した。
電子レンジやトースターがないのは同じで、パンをフライパンでトーストしていたものだ。
ご飯を炊くわけにもいかず、パン食になる。味噌汁だけは即席の袋物を必ず食べていた。
朝はゆっくりするので、洗濯ができる。出かけるとこのようなことが出来ない。
◆お昼は、近所の中華料理店でランチにした。
私はホイコーロー定食。量が多く娘にも少し食べてもらった。
娘は単品のジャージャー麺。私にはあまり馴染みのない品だ。
少し味見させてもらったが、なかなかぴんと来ない感じだ。
中華は手早く出来て、値段も安く、量もほど良い。手軽な食事として満足できるものだ。
◆その後は、
区の図書館へ行って新聞や雑誌を読んだりした。
図書館下の商店街の本屋で雑誌を買ったり、
八百屋でイチゴを買った。
美味しそうなスイカも出ていたが次回にした。
家から500メートルの範囲内で
あらゆる買い物ができるので便利が良い。
初めて寄るパン屋さんでケーキを買った。
スペシャルデニッシュだ。1個498円。
このパン屋さんは、いつも行くパン屋さんと違い
やや高級志向のお店。
パン屋というよりはケーキ屋という感じで、
ケーキ類しか残っていなかった。
品物が少ないと感じたが、朝早くからのお客で
人気のパンは売り切れたのだろうと娘は言う。
ドイツでも、パン屋に寄ってはケーキをよく買っていたものだ。
帰宅後は、いちごとケーキで一休み。
こんな地味な毎日を過ごしている。何だか東京生活とは思えない日々だ。
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