■台風が去った日曜日の夜は、エアコンも扇風機すらも必要ない心地良さだった。
エアコンを点けているとき以外は真夏中開けて寝る窓から、かなりの風が入って来た。
時に涼しすぎるほどだった。それでも朝までぐっすり眠った。
しかし、朝起きたら体が少しだるかった。風が強くて、体には良くなかったようだ。
エアコンも扇風機も、そして自然の風さえも、ぐっすり眠れば体に良くないこともある。
身体に直接当たらないような工夫が必要だ。
■昨日は実家行き。
行ってみると、さすがにエアコンが点いていない。台風の雨はそう多くは降らなかったらしい。
エアコンを点けなくても良い気候が待ち望まれるが、まだまだ先の話だろう。
午後からは次第に暑さが出てきたので、父は寝室にエアコンを点けていた。
実家では、私は台所仕事もすべて扇風機。扇風機で済むのならそうしたい。
締め切った部屋でエアコンを点けた寒いくらいの部屋がどうも嫌なのだ。
それに、エアコンを点けた部屋とつけていない部屋との温度差にはまいる。
それにエアコンの部屋にじっとしていたら、家事など何もできない。
主婦たる者、エアコンの部屋でテレビや読書ばかりしてはおれない。
日々忙しく動き回る生活では、1か所にじっとはしてはおれないのだ。
まあ、今年はそんなことも言ってはおれない日も多いが・・・。
◆実家の裏庭の植木の枝が伸びきっているのに気づいた。
これまでは、余りの暑さに外に出ることもあまりせず、木をじっくり見ることもなかった。
裏庭の木々は、以前かなり短く切ったので、そう頻繁に切ることもないのだが、
さすがに長く手を入れていないと伸びるものだ。
昨日は、外作業があまり苦にならない暑さだった。
■台風は恵みの雨になり、野菜や樹々に役立った。
うだるような暑さに、少しだけ涼しさをもたらした。今朝も涼しいほどだった。
▲ネットで「台風・恵みの雨」で画像検索をしたら、私の写真が出てきたのにはびっくり。
ブログ記事に載せる写真がないので、探していたら見つかった。
だから2日間続けて同じ写真になった次第。
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美しく歳を重ねるために
■台風が近づいていた土曜日の夜は、夜中にトイレに起きた後、どうしたことか眠れなくなった。
2時、4時、6時と時計で時間を見た。ほとんど眠れていない。
おかげで日中は眠いこと。昼夜が逆転した感じになった。
■台風は、当地では心配された雨もさほどではなく、我が家にはまさに恵みの雨になった。
弱り切っていた野菜に活力がみなぎり、緑がまばゆい。
それにしても、自然災害の何と無慈悲なことか。各地でまたしても被害が出ている。
ほど良い中庸というものがない。雨、気温・・・すべて極端なのだ。
その中で人間は無力なものだ。それでも前に向かって進む人間の生きる強さ。
ある被災者が「もう1回土砂をかき出す作業はもう出来ないし、したくない」と言っていた。
まさに本音だろう。
■日曜日の実家行きも、今日と入れ替えてもらった。
毎回、台風に身構えるが、その割に大したことなく終わっている。
拍子抜けするくらいだが、それは嬉しい誤算というものだ。幸運と思わねば。
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美しく歳を重ねるために
■台風が近づいてきている。
◆昨日は午前中に1階の各部屋に掃除機をかけておいた。
掃除機かけは冬でも汗が出るが、真夏のそれはまさに過酷だ。汗がしたたり落ちる。
家の片付けは嫌いではないのだが、掃除機かけはどうも苦手だ。
たかが掃除機とはいえ案外全身運動で、かなりの体力を使う。
それでもしないわけにはいかずやるが、どうも好きになれない。
それも年々しんどくなってきているように思える。体力の低下からくるものだろうか。
◆台風が近づいているが、昨日はまだ何も感じられず、いつも通りの暑さだった。
午後からは、家の周りのものを片付けて、台風への備えをした。
洗濯物干しや、使っていない野菜用の支柱などはすべて濡れ縁へ集めた。
飛びそうなものの上へは石を置いて重しにした。
野菜も風で飛ばされそうだが、支柱にしっかりとひもでくくった。
豪雨被災地は大雨の影響を考えると怖いだろうが、
適度なものなら恵みの雨となるのだが、そうはいきそうにない。
■金曜日にタウンリポーターの用事で公民館に行ったが、顔見知りの何人かに会った。
「豪雨被害はどうだったか」という話になった。
◆ある人は、「家の前の道が川のようになり、消防がやって来て『至急避難するように』
と言われた」そうだ。我が家から500メートルも離れていない場所である。
「年老いた親を抱えているので、避難所は何かと不便なので、知り合いの家に行った」と言う。
◆また別の人は、「家の近くの集会所に土砂が入り使えなくなった」と言う。
◆公民館の職員は「近くのマンションは、川の護岸がえぐれ、建物に影響が出そうなので
住人はもう2週間以上もずっと避難所暮らしだ」言っていた。
「公民館にも避難する人がいたし、小学校の避難所は、かつてないほどの避難者数だったと聞いた」
という。(私が避難した場所。最高時は135人の避難者で、かつてないほどだった。)
今回のことで、公民館では9月に「防災フェア」を実施予定だと言っていた。
「是非取材に来てください」と言われた。
◆多かれ少なかれ皆様々な経験をしている。
我が家の町内の班25軒は全く何もなかったのが、奇跡だった気もする。
川の氾濫は影響ないにしても、裏山のどこも崩れなかったのが不思議だ。
そのことから危機感よりも慢心へとなったとしたら、却って怖いことだ。
夕方には、安芸郡府中町の緊急メールがもう入った。「避難準備」だ。
川上に水分峡のある山が土砂崩れを起こし、雨が止んだ後、晴れているのに川が氾濫した場所だ。
我が家の近くの川も、下に行くにつれ土砂が溜まって川床がかなり上がっている。
川をさらう作業をしていたが、相当な範囲と土砂の量だ。間に合ったのだろうか。
しばらくすると「川の氾濫に備えて早目の準備をするように」とアナウンスを流す車が走っていた。
◆朝晩の庭への水やりが欠かせない。雨が降らず少々の水やりでは足りない。
土も硬くなってきている。台風の影響で雨が降りそうなので、
夕方の水やり後、種から芽が出たピーマンとモロヘイヤの苗を移植した。
この暑さでは到底植え替えられないと思ったが、台風の雨が来るのでどうにかなるだろうと思ったのだ。
庭仕事をするとまたしても汗だくだ。1日で3回もシャワーを浴びた。
■前回の教訓を思い出し、事前の準備を怠たりなく、必要とあれば早目の避難をしなくては。
今日は実家へ行く日だが、様子を見て判断する。
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美しく歳を重ねるために
■昨日はタウンリポーターの仕事で公民館へ。
行事の主催者から「是非おいでください」とのお誘いを受けたので出かけた。
終了後は、レポートのまとめが待っているが、その作業は嫌いではないので苦にならない。
■読書2冊。
▼『里山シンプル生活』位田(いんでん)めぐみ、2014年8月第1刷発行、大和書房
著者は1980年愛知県生まれ。愛知県の里山で、夫と息子3人、犬2匹と暮らす。
2011年、自然と調和した食と暮らしを求め愛知県にある里山に移住。その後結婚。
古民家を再生し、畑で作物を作りながら木と共に、火と共に、自然からの恩恵をいただき、
持続可能な日本古来の丁寧な暮らしを目指し日々を紡ぐ。2012年に長男、
2014年に次男を自宅出産した。2016年には3男誕生。ブログ『つきあかり 紡ぐ日々』
この経歴を見るだけで、この人の生き方が分かる。
家賃5千円。母屋に離れ2棟。庭,畑付き。
現代人からは想像もできないような、昔の生活。私はその一端は実体験として理解できる。
こういうエコ生活に憧れる人はいるだろうが、現実はなかなか大変だ。すべてに時間と手間がかかるのだ。
それを実践するには、一人では無理だ。良き理解者がいないと出来ない。
その良き理解者はご主人だ。志を同じくする2人が苦労を共にして日々を暮らしていくのだ。
ご主人は畳職人。生活のために時々はその技術を生かしてお金に代えるが、主ではない。
「良いなあ、こういう生活」。でも、実際やろうとなると出来ないのだが、見聞きするだけでも、心豊かになれる。
「お金はなくてもギリギリの神様がいる里山の生活は、容易にはマネはできないけれど、
読むだけで心が温かくなる」(書評文)
『亡くなった人が残していったホームページ達・故人サイト』▲古田雄介。
1977年名古屋市生まれ。社会評論社、2015年12月初版発行。2002年から雑誌記者として活動している。
利用者が亡くなった後のデジタルコンテンツの追跡調査がライフワーク。
103の事例が載っている。よくぞこれだけ多くのものを分析したものだ。
「そこに宿るリアルな生死の一端でも本書から感じ取ってもらえれば幸いだ」
「死はインターネットで学べる。知ることは後ろめたいことではない。
大切にするということは、腫もの扱いすることではないー心からそう思うのです。」
金子哲雄、中島啓江、飯島愛、後藤健二、映画にもなった「がんフーフー日記」など
よく知られた人のものもあるが、名も知らぬハンドルネームだけのものも多い。
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美しく歳を重ねるために
■昨日は夕方に雨が少しだけ降った。待ちに待った感じだが、ほんのお湿り程度だった。
それでも、台風が近づいてきているので、
晴天のための高温に雨を待ち望むが、豪雨被災地には新たな心配も出てくる。
■今年初めて挑戦した梅干しづくりだが、どうにか完成した。
6月19日に梅を漬け、約1か月後の7月21日に取り出した。
それから3日間太陽に当てた。土用干しだ。
今年の土用は7月20日だから、予定通りになった。
その間、7月6日の豪雨後、梅雨が明け一気に気温が上昇した。
6月から7月の1か月は室内で漬けたのだが、かびが生えはしないかと心配しながら、
日々カビらしきものを取り除く作業をした。
土用干しは晴天に恵まれしっかりと干せた。
梅を広げる大きなザルは、竹のざるは持っていないので、プラスチック製のもので代用。
外で干すと、猫や犬がやって来てひっくり返さないかという心配もあり、常に見張っていた。
そうしてどうにか完成。1個食べてみたが、買ったものと同じように出来ている。
梅2キロ分、数えてみたら187個あった。
これまでは、手間がかかりそうな先入観から、梅干しづくりをしたことはなかったが、
案外そう大変ではなかった。今年は梅も安いのが手に入った。
「しそ梅酢」なるものが手に入ったことも便利さに拍車がかかった。
⇒6月23日(土)の記事。
その逆にラッキョウは結構高価で、毎年漬けるのにとうとう今年は漬けなかった。
共に手間暇かかるものだから、市販品よりも高くつくようでは作る意欲が出ない。
より安く、より安全な品なればこそ、作る価値があるというものだ。
梅干しも買えば結構高い。これまでは道の駅などでお安い品を買うことも多かった。
スーパーなどでは、梅干しでも保存料や添加物が入っているのには驚く。
安いなと思って表示を見れば「中国産」だったする。
■料理好きな姑だが、どうしたことか梅干しやラッキョウ漬けは作らなかった。
実母はラッキョウ漬けは結構作っていた。瓶ごと貰ったこともある。
梅干しは「カビが生えたりするので難しい」と言い、失敗したこともあるのか、
以後あまり作らなかったようだ。
その代わり、紀州の梅の高級品を買っては我が家に送ってくれていた。
今にして思うに、自分の現役時代は日々忙しく、梅が送られてきてもじっくりと味わうこともなかった。
梅干しやラッキョウ漬けについてもゆっくりと話を聞くこともなかった。
現在、自分がその当時の親の年になり、時間はたくさんあるのであれこれやってはいる。
我が子たちは今まさに忙しい現役世代真っ盛りだ。
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美しく歳を重ねるために
■昨日は実家行き。
いつもは木曜日に行くのだが、今日は地元の花火大会があるので、
弟が父を連れて行くと言い、交代したのだ。
以前は私も何度か父と一緒に行ったが、夜が遅いので泊まることになる。
だから最近は弟に任せっきりだ。
水曜日は訪問リハビリの日。水曜日に行くことはめったにないので、様子を見ることはほぼない。
担当の理学療法士に聞けば、父は筋力は大きくは低下していないが、
最近の暑さで体がかなりまいっているようだと言う。
父は、各部屋に温度計をつけ、いつも温度を気にしている。
寝室と台所と応接間に、常にエアコンを点けている。
冷房もそうだが、扇風機にしても、夜はいったん切れると途中でまた起きて点けなければいけない。
それを何度か繰り返すと、眠りが中断され睡眠不足になるのだ。
夜中点けておけばよいのだろうが、それでも体がまいりそう。
熱中症は、気温だけでなく体調も大きく左右されるのだ。睡眠不足などは良くない。
ドイツの娘から、お祖父ちゃんの所へ家族写真が送られてきていた。
返事を気にするお祖父ちゃんのことがよく分かっているようで「返事は要らないよ」とあった。
■我が家には、写真はメールで来る。
もうすぐ2歳になる孫の次男くんに、お菓子の袋入りを送った。
実はこれは懸賞で当たったもの。
貰い物だが、大人が食べるよりは、子どもが喜ぶだろうと送ったのだ。喜んでいるようで良かった。
おもちゃはたくさんあるようで、次男くん用にはもう買わなくて良いようだ。
だから、贈り物選びには悩む。
孫の長男くんは、もうすぐ7歳半になる。もうすっかりお兄ちゃん。
幼い時の面影が無くなりつつある。嬉しいような、寂しいような。
家族4人みな元気でいてくれればそれでよし。
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美しく歳を重ねるために
■ここ数か月は病院へ行くこともなく、どうにか落ち着いた生活を送っていたのだが、
連日の猛暑は「命にかかわるほどの暑さ」というほどで、体にはかなりのストレスだ。
<金曜日>・・久しぶりに整形外科に行って、注射をしてもらい、湿布薬を貰った。
<土曜日>・・注射がよく効いたのか、膝の痛みがなくなり歩くのがかなり楽だ。
この日は、豪雨被災地をあちこちかなり回ったが、膝が楽なのでいつになく歩き回った。
夫は温泉へも行きたかったようだが、私のひざの関節注射は、丸24時間はお風呂もシャワーも
厳禁なので、諦めた。菌が入っては元も子もないから。
<日曜日>・・実家行きの日。父はあまり変わったこともなく、どうにかやっている。
しかし、私は言いたいことはあれこれあるが、じっと我慢をする。
言っても直らないし、無理して直そうとすると父にはストレスになるようだからだ。
父も同じで、言いたいことや我慢していることもあるだろう。
それらを溜めれば、いつか一度にどっと出ることもある。それも良くはないのだが。
この日は、またしても膝痛が出た。注射の効力は土曜日1日だけだった。
むしろその1日に無理したことが却って良くなかった。
自宅に帰る頃には、歩くのがやりきれないくらいしんどくなった。
<月曜日>・・朝から吐き気がして、体調が悪化。1日中何もせずひたすら安静にした。
<火曜日>・・体調はどうにか快復。
熱中症、食道炎、湿布など一度にあれこれ気になる場所があると、
体調不良の原因がどこにあるのか分からない。
■人間も暑さにはまいりそうだが、声こそ発しないが植物や動物も同じだろう。
庭の野菜も今にも枯れそう。朝晩の水やりは欠かさないが、追い付かない。
時間があればじょろで4杯も撒けば良いのだが、時間がなければホースで一気に撒く。
それと台所の排水は出来るだけバケツに溜めて撒くが、いちいち運ぶのもなかなか大変。
▼ミニトマトも今にも枯れそう。下に藁を敷いたが、それくらいではあまり効果もなさそう。
カボチャは3個ほどなったが、1個はひび割れが出来た。葉もすっかり枯れたので収穫した。
▼隣の家からキュウリを貰った。梅雨の時期は
飽きるほど食べたが、今我が家はほとんどならない。
店で買おうにもかなり高価だ。
しばらく買っていなかったので、頂きものが有難い。
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美しく歳を重ねるために
■昨日は急激に体調が悪くなり、一日何もせずにいた。
朝から、なんとなく胃の調子が良くない感じがしたが、次第に吐き気がしてきた。
そのうち、汗がどっと出るかと思えば、寒気がし出した。
顔色が悪くなってきているのが分かる。
「これが熱中症かな・・・?」と思いつつ、保冷剤を首に巻き付ける。
昼食の準備の時間になってもどんどん悪化するばかりで、炊事どころではない。
とうとう吐いてしまったが、吐くと少し楽になる。
嘔吐をしたのは3月以来だが、体力を消耗する。
■我慢も限界。夫に助けを求める。これが一人だったら、さぞや不安だっただろう。
冷房を点け、ポカリスエットやOS1を飲むと、少し元気を取り戻した。
飲むことは出来るが、食べることは出来ない。胃が傷んだようだ。
「熱中症」だったのか?
あるいは「逆流性食道炎」がぶり返したか?
整形外科でもらった「強力な湿布薬」のせいか?<時に吐き気を伴うこともある>とある。
連日暑い一日が続く。
埼玉県熊谷市では、とうとう41度を超えた。
地球が狂ってきている感じだ。
庭の野菜類も水を求めており、日々水やりに忙しいのだが、
昨日は自分の体のことで精一杯で、何もできなかった。
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美しく歳を重ねるために
■土曜日は、豪雨被害跡の<三篠川とJR芸備線>を見て回った。
「狩留家駅」⇒「三篠川」⇒流された「吊橋」⇒流出した「鉄橋」などを見て回り、
その威力のものすごさに驚いたのだ。
そうこうするうちにもうお昼時を過ぎていたが、付近にはお店がなかなかない。
やっと見つけたラーメン店で食べることにした。「ラーメン長州」(安芸高田市向原町長田)だ。
建物は手作りっぽい感じで、ドライブ途中で時々見かけてはいた。
メニューは多くはないので、その中のこれにした。
私は平素はラーメンを食べることは少ないが、他に店もなさそうなので仕方がない。
ラーメンはしょうゆ味の細麺。チャーハンに漬物がついているのが珍しい。
ほど良い量と味でお腹を満たした。
■三篠川沿い走ったが、あちこちの橋が通行止めになっていたり、
護岸が崩れたりしている箇所が数多く目に付く。
「高瀬橋」は遠くから見ても途中で大きく変形しているのが分かる。
ハンググライダーで知られる「神の倉山」が遠くに見える。
この山もあちこちが崩落の危険性があると新聞に報じられていた。
「三田小学校のそばの護岸」はかなり崩れており、ふと反対側の道路そばの家を見れば
浸水したようで、1階は空洞である。あちこちの家で物がごみと化して出されていた。
三篠川の氾濫で、かなりの浸水被害があったようだ。
■狩留家駅の一つ先の「白木山駅」まで行ってみた。
白木山登山をする時に降り立つ無人駅だが、今は運休中のためレールは赤さびており、
草が生えていた。数週間列車が走らないだけでもこんなになるのだ。
ここまで見て、帰途に就いた。
ニュース報道されない場所でも被害は甚大なものだったことが、実際目にして分かった。
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美しく歳を重ねるために
■このところ西日本豪雨のことばかりで、やや恐縮するが、
被害は大きく、各地ではいまだに被災の後始末や避難所生活が続いている。
死者数も多く、行方不明者の捜索も続いている。
昨日は安倍首相が広島県の被災地を訪れ、視察をした。
■昨日は、夫の熱意に連れられて、三篠川とJR芸備線の被害状況を見て回った。
広島市から北へ向かう。三次やさらに島根県へ行く時によく通る馴染みの場所だ。
JR西日本広島支社によると「線路への土砂流入は、広島、山口両県の支社管内の大きなものだけでも約110か所。会社始まって以来の規模」だそうだ。
◆まずは「狩留家駅」に行った。
駅構内から見ると、線路上に大量の土砂が覆いかぶさっている。
一体どこからやってきた土砂だろうか分かりにくい。
近くの家の人に聞けば、「山から流れる小川に大量の土砂が流れ込み、線路まで達した。
そこが山のようになり、線路そばの道路に左右に分かれ土砂が2メートル近く積もった」とか。
現在道路上の土砂は綺麗に片付けられており通行できるが、線路内はそのままだった。
この狩留家駅の土砂を除けなければその先への列車運行は出来ない。
ひとつ前の下深川駅から狩留家駅までは9月中には運転再開されるようだが、
ここの土砂は、駅よりも三次寄りなので、9月再開の箇所までには入っていない。
というのも、ここを整備しても、この先の鉄橋が流されているので、到底再開にはならないのだ。
◆土砂災害と共に、川の氾濫による被害も相次いだ。
ここを流れるのは三篠川だ。
「広島県西部を流れる太田(おおた)川の支流。三田(みた)川ともいう。
東広島(ひがしひろしま)市北部に発し、安芸高田(あきたかた)市向原(むかいはら)町から
南西に向かい、広島市安佐北(あさきた)区高陽(こうよう)町で太田川に合流する。
延長45キロメートル。
JR芸備(げいび)線向原駅付近で可愛(えの)川の支流戸島(とじま)川上流と河川争奪している。
広島藩政時代には広島城下から高大地(たかおおち)(向原町)まで川舟が通じていた。」
広い美しい川に見えるが、豪雨が降った日には川の水は相当の量になり、
私の携帯緊急メールにも川の氾濫を知らせる知らせが届いたが、我が家からは遠いので
ピンとこなかったのだが、現地で見るとその被害の大きさに驚く。
◆途中、吊橋が流されていた。近くまで行ってみたが、川を覗くと怖いほどだ。
狩留家駅と白木山駅間である。
全線復旧は1年以上かかる見込みだという。
この被害は相当なもので、何度もニュースで流れた。
昨日は、この場所に広島市長が視察に訪れるとかで、関係者が多く来ていた。
上から眺めても、レールがぷつりと途切れているのが分かる。
大木がぶつかり、折れている。橋の部分まで水が来たということだろう。
手前の橋脚は残っているが、川の中のはの横転、鉄橋は崩れ去っている。
豪雨の威力の大きさを知る。(さらに先へ進む。続く。)
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■ここで記事が終わるのですが、どうしたことか下部に大きな空白が出来てしまいました。
ここまで読んでいただければ終了してください。